マニフェスト=デスティニー
マニフェスト=デスティニーとは、19世紀前半のアメリカ合衆国において、自国は神意によって北米大陸全土へと領土を拡大すべきであるとする歴史観・使命意識である。日本語では「明白な天命」とも訳され、西部開拓や新領土獲得の正当化に用いられた。この観念は、共和国の自由と文明を広めるという理想主義的側面と、白人中心主義や帝国主義的膨張を支える思想という側面を併せ持つ点に特色がある。
用語の成立と歴史的背景
マニフェスト=デスティニーという表現は、1845年にジャーナリストのオサリヴァンが用いたことで広まったとされる。背景には、アメリカ独立戦争以来の共和政への自負と、建国以来続く大陸横断的な拡大の歩みがあった。19世紀前半のアメリカ社会では、人口増加と農地需要の高まり、商業・交通網の発達、そして民主化の進展が重なり、西方への移住と新州編入が急速に進行した。この過程で、領土拡大を偶然の結果ではなく、歴史の必然として説明する物語が求められ、その役割を担ったのがマニフェスト=デスティニーであった。
思想的特徴
マニフェスト=デスティニーは、アメリカ社会に特有の宗教観と政治イデオロギーが融合した思想である。第一に、プロテスタント的な摂理観にもとづき、合衆国の拡大を神の計画とみなす神意論が強調された。第二に、共和政と自由主義を「より優れた政治形態」として捉え、それを拡大することが人類史的使命であるとする進歩史観が示された。第三に、白人・アングロサクソン系住民を文明の担い手とみなす人種観が暗黙の前提となり、先住民やメキシコ系住民を支配・排除することが正当化された。
アメリカの領土拡大との関係
マニフェスト=デスティニーは、建国以来続いてきた拡大政策を理論的に補強する役割を果たした。19世紀前半には、ルイジアナ買収やフロリダ獲得などにより合衆国の版図は既に拡大していたが、この観念が広まることで、太平洋岸への到達や北米大陸横断を「当然の使命」とみなす雰囲気が強まった。また、奴隷制州と自由州の均衡をめぐる対立の中で、新領土がどの勢力に属するかをめぐる政治闘争にも大きな影響を与えた。
テキサス併合とメキシコ戦争
1840年代のテキサス併合とメキシコ戦争は、マニフェスト=デスティニーが具体的な外交・軍事政策として現れた代表例である。アメリカ側の指導者や新聞は、テキサスやカリフォルニアなどメキシコ領への進出を、自由と文明をもたらす行為として描き出した。戦争の結果、合衆国は広大な南西部領土を獲得し、太平洋岸への進出を達成したが、その過程でメキシコ側の主権や住民の権利は軽視され、国際的にも「侵略戦争」と批判された。
西部開拓と先住民政策
マニフェスト=デスティニーは、先住民の土地収奪と強制移住を正当化する論理ともなった。西部の開拓民や政治家は、未開の荒野を文明化するという名目で、先住民が伝統的に利用してきた土地を次々と占有した。すでにジャクソン期の「インディアン移住法」によって東部からの追放が進んでいたが、その後の西部開拓でも条約破棄や軍事衝突が繰り返された。こうした過程は、後に先住民に対する構造的暴力として批判的に検証されることになる。
国内政治・社会への影響
マニフェスト=デスティニーの理念は、アメリカ国内の政党政治にも影響を与えた。拡張に積極的な勢力は、この観念を用いて新領土獲得を主張し、奴隷制をめぐる対立では、自陣営に有利な州編入を正当化した。対して、道徳的・宗教的立場から侵略戦争に反対する声も存在し、合衆国の使命を平和的な模範国家として考える人々もいた。最終的には、新領土における奴隷制の可否をめぐる対立が激化し、南北戦争へとつながっていく。
批判と歴史的評価
現代の歴史研究では、マニフェスト=デスティニーはアメリカ型帝国主義の思想的基盤として捉えられることが多い。自由と民主主義の拡大という理念は普遍的価値を帯びている一方で、それが特定の国家や人種の優越性と結び付いたとき、他者支配や領土拡張のイデオロギーとなり得ることが指摘される。とくに先住民やメキシコ系住民の被害、奴隷制拡大との関連などが重視され、拡大の「光」とともに「影」を検証する視点が確立している。
現代アメリカにおける残響
今日のアメリカ政治や外交においても、マニフェスト=デスティニー的な思考は完全には消えていないとされる。合衆国を「特別な使命を担う国家」とみなす意識は、モンロー教書以来の伝統と結び付いており、20世紀以降の対外政策にも影を落としている。冷戦期の反共政策や、民主主義普及を掲げた軍事介入、グローバルな覇権意識などを分析する際にも、この歴史的観念が参照される。また、ジャクソニアン=デモクラシー以降の大衆政治文化や、アメリカ社会の自己像を理解するうえでも、マニフェスト=デスティニーは重要な鍵概念となっている。