ホイッグ党(アメリカ)
ホイッグ党(アメリカ)は、1830年代から1850年代半ばにかけて存在したアメリカ合衆国の政党である。アンドリュー=ジャクソン率いる民主党に対抗して成立し、連邦議会の権威と市場経済の発展を重視する保守的・穏健な改革勢力として、第2党派制の一翼を担った。南北戦争前夜の奴隷制問題の激化により分裂・崩壊し、その多くが後の共和党結成に参加した。
成立の背景と名前の由来
ホイッグ党(アメリカ)は、ジャクソン大統領が行った強力な大統領権行使、とくに合衆国銀行への攻撃や拒否権の多用に反発する反ジャクソン勢力の連合として生まれた。名称は、イギリスで王権専制に反対した「ホイッグ党」になぞらえ、大統領を「新たな国王」とみなして批判する政治的レトリックに由来する。
思想と基本政策
ホイッグ党(アメリカ)は、立法府優位の原則と、国家による経済近代化の推進を中心理念とした。ジャクソンの「人民的大統領制」に対して、憲法に基づく統治の均衡と社会秩序の維持を強調した点に特色がある。
- 連邦議会の権限尊重と大統領権力の抑制
- 保護関税による国内産業の育成
- 中央銀行の設置・維持と健全な通貨制度
- 道路・運河・鉄道など「内部改良」に対する公的支援
支持基盤と社会的性格
この党は、北部の商工業資本家、都市の中産階級、金融・運輸部門の関係者など、市場経済の発展から利益を得る層の支持を集めた。一方、南部では大農園主の一部が加入したが、地域差が大きく、奴隷制をめぐって党内に緊張を抱え込むこととなった。宗教的には、禁酒運動など道徳改革を推進するプロテスタント系の信徒が多く参加した。
主要人物と政権担当
指導者としては、「アメリカン=システム」を唱えたヘンリー=クレイや、名弁論家ダニエル=ウェブスターが著名である。大統領にはウィリアム=ヘンリー=ハリソンとザカリー=テイラーが選出され、副大統領から昇格したジョン=タイラーやミラード=フィルモアも党に属した。ただし、彼らの多くは任期中に党指導部と対立し、党綱領を十分に実現できなかった。
奴隷制問題と党内分裂
西部への領土拡大とともに奴隷制拡大の是非が争点となると、ホイッグ党(アメリカ)は急速に亀裂を深めた。北部の「良心的ホイッグ」は奴隷制拡大に反対し、南部の「綿花ホイッグ」は奴隷制維持に理解を示すなど、地域ごとに立場が分かれた。メキシコ戦争やテキサス併合、さらに1850年妥協などをめぐる議会闘争は、この対立を決定的なものにした。
崩壊とその歴史的意義
1854年のカンザス=ネブラスカ法成立は、自由州・奴隷州の均衡を揺るがし、党の統一を完全に崩した。北部の多くのホイッグは、新たに結成された共和党に参加し、南部の一部は民主党や憲法擁護政党へ移ったことで、ホイッグ党(アメリカ)は事実上消滅した。しかし、議会中心主義や国内産業の保護・育成といった理念は、後の共和党および進歩的改革の伝統に受け継がれ、アメリカ政治に長期的な影響を与えた。
アメリカ政党史における位置づけ
ホイッグ党(アメリカ)は、民主党と対抗しながら大衆選挙や選挙キャンペーンの技法を発展させ、第2党派制を形成した点でも重要である。近代的な政党組織と選挙戦略を整えたことにより、その経験は後続の政党に蓄積され、アメリカ合衆国における政党政治の枠組みを形作る一段階となった。