ペグー朝
ペグー朝は、13世紀末から16世紀半ばにかけて下ビルマ(エーヤワディー・デルタと沿岸部)を中心に成立したモン族の王国である。英語史料ではHanthawaddy Kingdomと記され、当初はモッタマ(マルタバン)を拠点とし、のちにペグー(現バゴー)へと政治・宗教の重心を移した。ラザダリットやダンマゼーディーの治世に繁栄し、上ビルマの諸勢力やタイのアユタヤと抗争しつつ、インド洋交易の結節点として発展したが、16世紀にタウングー朝の進出により征服され、王統は断絶した。その後18世紀に一時的な「再興ハンタワディ」が成立したが、最終的にはコンバウン朝に平定される。
成立と展開
1287年頃、パガン朝崩壊後の空白期に、ワレーラ(ワルール、Wareru)が下ビルマで自立し、モッタマを都として王国を樹立した。14世紀には内紛と外圧のなかでペグーが台頭し、15世紀初頭のラザダリット(Rajadhirat)の時代にデルタ一帯を再編して王権を強化した。こうしてペグー朝は、モン系王権としてのアイデンティティを保ちつつ、沿岸・水上交通を基盤に領域国家化を進めた。
政治体制と支配構造
ペグー朝の政治は、王権を頂点とする宮廷と、デルタ各地の都市・港湾の有力者層(在地首長)との協調と競合のバランスの上に成り立った。徴税は米・魚醤・塩・木材・宝石などの物産と港湾関税に支えられ、要地には王族や近臣を配置して統治の実効性を高めた。上座部仏教の僧団は、宗教権威としてのみならず、文書実務や教育に関わる知的基盤として政権運営を支援した。
宗教と文化
ダンマゼーディー(Dhammazedi, 1470–1492)は、スリランカでの受戒系譜を重視して僧団を再編し、カリヤーニー碑文により教団改革を明示した。シュエダゴン・パゴダの整備や戒律の純化は、王権の徳治と仏教的正統性を演出した施策である。モン語文献とパーリ語学芸は宮廷で保護され、碑文・年代記・仏塔供養記などが編まれた。こうした文化事業はペグー朝のアイデンティティ形成に寄与した。
対外関係とインド洋交易
下ビルマの港湾は、ベンガル湾を横断する海路の要衝であり、ベンガル、スリランカ、マラッカ、アユタヤ、さらにはイスラーム商人や早期のポルトガル人商人とも接触した。米・チーク材・漁撈産品・宝石が輸出され、布・金属器・香辛料・硬貨が流入した。関税収入は財政基盤となり、港湾都市は多言語・多宗教の越境コミュニティを受け入れて活況を呈した。
上ビルマ・タイ世界との抗争
ペグー朝は、上ビルマの諸勢力やタイのアユタヤ王国と覇権を競った。ラザダリット期にはデルタの統合を進めつつ、境域での攻防が続いた。16世紀に入るとタビンシュエーティー、続くバインナウンを擁するタウングー朝が台頭し、1538年以降の連続遠征で要地を次々に制圧した。1541年までにペグーは陥落し、王都はタウングー朝の支配下に入った。
再興と最終的消滅
18世紀、ビルマ全土が動揺するなかで下ビルマではモン系勢力が再び結集し、「再興ハンタワディ」と呼ばれる政権が1740年に成立した。しかし、上ビルマで勢力を拡大したアラウンパヤーのコンバウン朝が南下し、1757年に下ビルマを平定したことで、ペグー朝の伝統的王権は最終的に終焉した。
社会経済と都市景観
デルタの稲作と内水面漁撈に支えられた余剰は、内陸水運と海上交易を介して都市に集積した。堀と土塁で区画された都市には、王宮・仏教施設・市場・外国人居住区が隣接し、季節風を利用した航海サイクルに合わせて商人が往来した。都市的生活様式はモン文化の美術・音楽・儀礼と結びつき、宮廷儀礼は対外的な威信を演出する舞台ともなった。
史料と研究動向
ペグー朝研究は、モン語碑文、パーリ語文献、ビルマ語年代記、ポルトガル語記録、スリランカ仏教史料など多言語資料の照合に依拠する。近年は港湾考古学や花粉分析・材木年輪年代学など自然科学的手法も導入され、デルタ環境の変動と都市の立地選択、交易網の季節性と社会構造の関係が具体的に復元されつつある。
年表(要点)
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1287年頃 ワレーラが下ビルマで自立、モッタマ政権の成立
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14世紀後半 ペグー台頭、王権の中心が内陸デルタへ
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1400–1420年代 ラザダリットが再統合を推進
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1470–1492年 ダンマゼーディーの教団改革と交易繁栄
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1538–1541年 タウングー朝の征服によりペグー朝滅亡
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1740–1757年 再興ハンタワディの興亡、のちコンバウン朝が平定
用語注
「ペグー」は現在のバゴー(Bago)に比定され、「ハンタワディ(Hanthawaddy)」は王国名としての自称に近い。史料上はモッタマ(Martaban)・ペグー・シリアム(Thanlyin)などの港市名が頻出し、海陸の「結節点」としての都市性が王権の生命線となった。これらの用語理解は、ペグー朝の政治・宗教・交易を総合的に捉える鍵である。