プルシャプラ|ガンダーラ文明の中心都市

プルシャプラ

プルシャプラは古代インド北西部ガンダーラ地方(現パキスタン・カイバル・パクトゥンクワ州)に位置した都市である。名称はサンスクリットの「puruṣa(人・人格)」と「pura(都市)」に由来し、「人々の都」を意味する。クシャーナ朝期に政治・宗教・交易の要衝として著しく発展し、のちに「ペシャーワル」として知られる都市へ連続する。カイバル峠を扼し、中央アジア・バクトリア・インド平原を結ぶシルクロードの結節点として、仏教文化とヘレニズム由来の美術が融合した環境を育んだ。中国僧の巡礼記にも大規模な仏塔と僧院群が記録され、ガンダーラ美術と大乗仏教展開の重要舞台であった。

名称と語源

都市名「プルシャプラ(Puruṣapura)」は、サンスクリットの複合語である。「puruṣa」は「人」「人格」「霊我」を広く指し、「pura」は城壁都市を意味する。中世以降、ペルシア語圏の統治下で地名は「Peshawar(ペシャーワル)」へ変化し、前線・辺境を意味する語感が付与されたとされる。音韻転訛の過程は一挙ではなく、行政言語の交替と通商語の混用に伴って段階的に定着した。

地理と交通の要衝

プルシャプラはカーブル川流域に広がる肥沃な沖積地に立地し、西のカイバル峠を越えればすぐにアフガニスタン高原、東へ下ればインダス中流域とパンジャーブである。峠路は隊商交通の生命線であり、軍事・交易・宗教伝播の通路として機能した。タキシラやバクトリア方面と結ばれた往来は、ギリシア系・イラン系・インド系の人々を流入させ、貨幣制度・度量衡・意匠が交差する多文化都市を形成した。

歴史的展開

  • 前史とガンダーラ文化:アケメネス朝の影響圏やマウリヤ朝の統治を経て、在地のガンダーラ文化が成熟した。石刻や僧塔の整備が進み、アショーカ王の布教政策の痕跡が地域一帯で指摘される。
  • クシャーナ朝の都:2世紀、カニシカ王の治世にプルシャプラは王権の主要拠点(季節的な都)として整備された。貨幣流通の拡大、対外交易の活況、僧院ネットワークの拡張が同時進行し、仏教と王権の結合が明確化する。関連する宗教政策についてはクシャーナ朝と大乗仏教を参照。
  • 中世以降:5世紀のフーナ(匈奴系)侵入や周辺王権の交替を経て都市は変容するが、ムガル朝期に「ペシャーワル」の名が定着し、辺境要塞都市として再編された。

宗教・文化:仏教センターとしての性格

プルシャプラは大乗仏教の台頭と僧院ネットワークの拠点であり、巨大な「カニシカのストゥーパ」で名高い。塔身は巡礼者の記録で極めて高大に描写され、都城景観の象徴であった。ストゥーパ信仰の具体像や建築儀礼についてはストゥーパ項目が参考となる。石彫群はガンダーラ様式の写実性とヘレニズム由来の衣文表現を示し、仏伝・本生譚・法輪転蔵を主題とする浮彫が多く制作された。

考古学的知見

都市北東部のシャー・ジ・キ・デリ(Shah-ji-ki-Dheri)遺跡から、カニシカ期の塔基壇や供養施設、奉納容器などが出土している。銘文はカーシャパ(Kharosthi)やブラーフミーの二系統が併存し、行政・信仰の多言語状況を物語る。字書学・古文書学の観点からはブラーフミー文字の普及と転写慣行が検討対象になる。巡礼僧法顕・玄奘の記述は、塔の規模、僧徒数、布施経済の具体像を伝えており、文献史料と発掘成果が相補的に都市像を再構成する。

広域交流とシルクロード

プルシャプラはインド平原・カシュミール・バクトリア・ソグディアナを結ぶ物流のハブであった。王権が発行した金銀貨はギリシア文字・バクトリア語・プラークリット語の混用を示し、掌中の貨幣がそのまま文化接触の証拠となる。アレクサンドロス以降のギリシア系諸勢力の残響は美術語彙や神像表現に生き残り、後代まで地域的特色を与えた。関連の古代遠征についてはアレクサンドロス大王のインド侵入を参照。

政治と思想の文脈

王権と僧団の関係は護国・福祉・布施を軸に制度化され、都市経済の再分配機能を担った。法と秩序の観念は「ダルマ」によって正当化され、統治イデオロギーの核となる。インド政治思想の枠組みについてはカウティリヤ、規範理念としてのダルマを参照すると、都市統治と宗教権威の接合が理解しやすい。

周辺都市との関係

東方の大都市パータリプトラや学術都市タキシラと結ばれ、学僧と文人が往来した。仏教建築の比較対象としては石欄楯やトーラナが精美なサーンチーが挙げられ、意匠と儀礼の異同が検討できる。こうした広域ネットワークは、王朝交替ののちも巡礼路と学匠の移動によって継続した。

用語と混同の注意

「プルシャプラ」と「ペシャーワル」は歴史段階の異称であり、同一地域の都市を指す。マウリヤ期の都「パータリプトラ」や西方のタキシラとは別都市である。ガンダーラという文化地帯名と都市名を取り違えないこと、そしてクシャーナ朝の宗教政策は時期により振幅がある点を押さえると、史料読解の齟齬を避けられる。

歴史的意義

プルシャプラは、インド亜大陸北西縁における王権・宗教・交易が交差する「境界都市」の典型であった。ここで醸成されたガンダーラ美術は、後代の仏像成立史に決定的な足跡を残し、大乗仏教の観念世界は中央アジア・東アジアへと波及した。王朝興亡に翻弄されつつも、都市は名称を変えながら生命を繋ぎ、今日に連なる都市史の層位を成している。古代から中近世にかけてのインド史・中央アジア史・仏教史を架橋するキー・サイトとして、その研究的価値は今なお高い。