プエルトリコ
位置と地理
プエルトリコは、西インド諸島の一部であるカリブ海に位置する島と周辺小島からなる地域であり、政治的にはアメリカ合衆国の未編入領域とされる。ドミニカ共和国とヴァージン諸島のあいだに位置し、山地と海岸平野が組み合わさった地形をもつ。熱帯気候で年間を通じて温暖だが、ハリケーンの通り道にもあたり、自然災害への脆弱性も抱える。
スペイン帝国の植民地としての成立
プエルトリコは、コロンブスによる航海ののち、早くからスペイン帝国の植民地となり、大西洋とアメリカ大陸を結ぶ海上交通路を抑える軍事・海軍拠点として重視された。サトウキビやコーヒーなどの商品作物の栽培が進められ、先住民タイノに対する支配やアフリカ系奴隷の導入をともなう植民地支配が展開された。この時期、要塞や港湾都市サンフアンが整備され、スペイン帝国防衛網の一環をなした。
アメリカ=スペイン戦争と領有の転換
19世紀末になると、スペイン帝国内でキューバやプエルトリコの自治・独立運動が高まり、これに関心を寄せたアメリカ合衆国帝国主義の動きと結びついた。1898年のアメリカ=スペイン戦争において、アメリカ軍はサンフアン近郊に上陸し、スペインとの短期戦の結果、同年のパリ条約(1898)によってプエルトリコはスペインからアメリカへと割譲された。この転換により、カリブ海地域における勢力バランスは大きく変化し、隣接するキューバ問題とともにアメリカの地域覇権確立を象徴する出来事となった。
自治拡大とコモンウェルス体制
アメリカ支配の初期には軍政が敷かれ、その後1900年のフォーレーカー法により民政政府が設けられたが、最終的な主権はアメリカ連邦議会に留保された。1917年のジョーンズ法によって住民はアメリカ市民権を与えられ、徴兵義務と引き換えに政治的権利が拡大した。第二次世界大戦後、1952年には「エスタド・リブレ・アソシアド(自由連合州)」と呼ばれるコモンウェルス体制が成立し、憲法制定を通じて内部自治が大きく認められた一方、外交・防衛・通貨などは依然としてアメリカ合衆国の権限下におかれた。
歴史的展開の主な年表
- 1493年 コロンブスの第2回航海以降、スペインが島を掌握
- 16~18世紀 要塞化とサトウキビ栽培の拡大により、重要な植民地拠点として機能
- 1898年 アメリカ=スペイン戦争の結果、プエルトリコがアメリカへ割譲
- 1917年 ジョーンズ法により住民にアメリカ市民権を付与
- 1952年 コモンウェルスとしての自治憲法が発効し、内部自治が拡大
経済構造と産業
植民地期の経済は砂糖・コーヒー・タバコなどの一次産品輸出に依存していたが、アメリカ支配下では関税制度や投資政策のもとで経済構造が変化した。第二次世界大戦後には工業化政策が進められ、税制優遇措置により製造業、特に医薬品・電子機器・食品加工などの工場が進出し、観光産業も重要な収入源となった。一方で、本土経済への強い従属、失業や財政危機、人口流出などの問題も抱え、構造的な経済格差が議論の対象となっている。
社会・文化とアイデンティティ
プエルトリコの社会は、スペイン系、アフリカ系、先住民タイノ、さらにアメリカ本土からの移住を含む多様なルーツから成り立つ。公用語はスペイン語と英語であるが、日常生活ではスペイン語が優勢であり、ラテンアメリカ文化とアメリカ文化が交錯する独自の文化空間が形成されている。音楽ではサルサやレゲトンなどが世界的に知られ、宗教面ではカトリックを基盤としつつプロテスタントも広がる。アメリカ本土への移住者コミュニティと島の住民との往復移動も活発で、二重のアイデンティティをめぐる意識が特徴的である。
現代の政治的地位をめぐる論争
現代のプエルトリコでは、政治的地位をめぐる議論が継続している。アメリカ連邦の一州となる「州昇格」案、現在のコモンウェルス体制の維持、完全独立を求める立場などが存在し、これらの選択肢をめぐって複数回の住民投票が行われてきた。しかし、結果の解釈やアメリカ連邦議会側の対応には政治的思惑が絡み、最終的な地位はなお確定していない。こうした状況は、19世紀末のアメリカ合衆国帝国主義の遺産と、21世紀の自己決定権を求める運動とが交差する問題として理解される。