ブルガリア
ブルガリアはバルカン半島の要衝に位置する国家であり、ドナウ低地とバルカン山脈、黒海沿岸の多様な地形に支えられて発展してきた歴史国家である。首都ソフィアを中心に、スラヴ系の言語とブルガリア正教の伝統が社会を形づくり、古代トラキア文明、ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国の重層的影響を受けつつ、独自の文字文化と国家意識を育んだ点に特色がある。
地理と民族
ブルガリアはドナウ川を北境にルーマニア、南にギリシアとトルコ、西にセルビアと北マケドニア、東は黒海に接する。多数派はブルガリア人で、トルコ系やロマなどの少数派を含む多民族社会である。気候は大陸性と地中海性が交差し、農業・牧畜・ワイン生産に適した環境を形成してきた。
起源と第一次ブルガリア帝国
国家の起源は、スラヴ人とテュルク系のブルガール(プロト・ブルガリア人)の融合に求められる。681年、アスパルフがドナウ下流域で国家を樹立し、第一次ブルガリア帝国が成立した。プレスラフとプリスカを中心に拡大し、9世紀にはボリス1世がキリスト教を受容、シメオン1世期には文化と軍事が最盛を迎え、ビザンツと覇を競した。
文字と文化の形成
キリル文字の成立はブルガリア文化の根幹である。ギリシア語と古教会スラヴ語の伝統を継いだ弟子たちが、オフリドやプレスラフの学派で文字と典礼書を整備し、教会文学・法令・年代記が確立した。これによりスラヴ世界に広く読字文化が波及し、のちのロシアやセルビアなどにも深い影響を与えた。
第二次ブルガリア帝国
1018年に一時ビザンツ帝国に併合されたが、1185年にアセン兄弟が反乱を起こし、タルノヴォを首都とする第二次ブルガリア帝国が成立した。カロヤンやイヴァン・アセン2世の治世に版図と交易は拡大し、修道院文化と写本制作も盛んであったが、内紛とタタール勢力の圧迫を受けて徐々に衰退し、14世紀末にはオスマン帝国に征服された。
オスマン支配と民族覚醒
オスマン支配下でブルガリアの自治は失われたが、教会組織と修道院は言語と信仰の維持に寄与した。18〜19世紀には「民族復興期」と呼ばれる文化運動が起こり、世俗学校の設立、印刷・出版の普及、近代的な歴史叙述が進んだ。この過程は、のちの独立運動の精神的基盤となった。
近代国家の成立と戦争
- 1878年:露土戦争の帰結として、サン・ステファノ条約とベルリン条約によりブルガリア公国が成立。
- 1908年:ツァール制の独立宣言によりブルガリア王国が確立。
- 1912–1913年:バルカン戦争で領土を巡る対立が激化。
- 第一次世界大戦・第二次世界大戦:国益を求めて参戦するも、領土・外交で大きな代償を負った。
19〜20世紀の戦争は、国家統合と国境確定に決定的影響を与えた。農業改革、鉄道整備、都市化が進む一方、マケドニア問題などをめぐる外交的緊張は長く尾を引いた。
社会主義期から民主化へ
第二次世界大戦後、1946年に人民共和国となり、計画経済の下で工業化が推し進められた。1989年の体制転換で複数政党制と市場経済が導入され、2004年にNATO、2007年にEUに加盟した。移行期には民営化、法制度整備、汚職対策、人口流出などの課題が顕在化し、現在も統治改革と社会的包摂が政策課題である。
経済と社会
ブルガリア経済は工業・農業・観光の複合型である。黒海沿岸のリゾート、スキー観光、ローマ遺跡や中世修道院を核にインバウンドが拡大した。ローズバレーの香料産業、ワイン造り、情報技術やアウトソーシングも成長分野である。エネルギーでは原子力発電の比重が高く、域内連結や脱炭素政策への対応が進む。
言語・宗教・社会構造
公用語は南スラヴ語派のブルガリア語で、定冠詞の後置や動詞相などの文法的特徴をもつ。宗教はブルガリア正教が多数を占め、イスラム教や他宗派も共存する。教育水準は比較的高く、理工系人材の輩出がITの発展を支える一方、少子高齢化と海外移住に伴う人口減少が顕著である。
文化遺産と世界遺産
リラ修道院、ボヤナ教会、マダラの騎士像、古代都市ネセバル、カザンラクのトラキア古墳、スレバルナ保護区など、ブルガリアには多様な世界遺産が存在する。イコン画、民謡、多声合唱、刺繍や木彫の工芸は地域色豊かであり、都市ソフィアでは古代・中世・近代の層が重なる景観が見られる。
主要年表
- 681年:第一次ブルガリア帝国成立
- 864年:ボリス1世のキリスト教受容
- 9〜10世紀:シメオン1世期の最盛と文学の隆盛
- 1018年:ビザンツによる併合
- 1185年:第二次ブルガリア帝国の成立
- 14世紀末:オスマン帝国による支配
- 1878年:公国成立(ベルリン条約)
- 1908年:独立宣言
- 1946年:人民共和国成立
- 2007年:EU加盟
このように、ブルガリアは地政学的な交差点に位置しながら、文字・宗教・国家の伝統を連続させ、近代以降は国際秩序の変動に適応してきた。オスマン期の克服と民族復興、二度の帝国の記憶、そしてEU加盟後の制度改革が、現代ブルガリアの社会像を形づくっている。