フランス革命
フランス革命は、1789年に始まり、絶対王政を倒して近代的な市民社会と国民国家の形成を促した大転換である。財政破綻に苦しむブルボン朝の危機、啓蒙思想による自由・平等の理念の普及、さらにアメリカ独立革命の成功などが結びつき、旧来の身分制社会を揺さぶった。この過程で人権思想や国民主権の原理が明確に打ち出され、のちのヨーロッパ諸国や世界各地の政治運動に大きな影響を与えた。
絶対王政と財政危機
絶対王政をしいたブルボン朝フランスは、17世紀にはヨーロッパ最強の大国と称されたが、18世紀には度重なる戦争と宮廷の浪費により深刻な財政難に陥った。とくに七年戦争やアメリカ独立戦争への参戦は巨額の負担となり、国家債務は膨張した。にもかかわらず、第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)は多くの租税を免除されており、負担は第三身分たる平民に集中した。この不公平な課税構造が、旧体制アンシャン・レジームへの怒りをさらに高めたのである。
三部会招集とバスティーユ襲撃
財政改革に行き詰まったルイ16世の政府は、1789年、1614年以来となる三部会の招集を決定した。第三身分の代表は人口に見合った政治参加を要求し、やがて自らを「国民議会」と称して、国民主権にもとづく憲法制定を宣言した。これに対し王権は軍を集結させ圧力をかけたため、パリ市民は7月14日に王権の象徴とみなされたバスティーユ牢獄を襲撃した。このバスティーユ襲撃はフランス革命の出発点とされ、「国民」が政治の主体として登場した象徴的事件である。
人権宣言と立憲君主制
国民議会は封建的特権の廃止を決議し、1789年8月には「人間と市民の権利の宣言」を採択した。ここでは自由・財産・安全・圧政への抵抗が「自然権」とされ、主権が国民に存することが明示された。これはロックやルソーなど近代自然権論、社会契約論の影響を色濃く受けている。その後、国民議会は立憲君主制の憲法を制定し、王は国家元首として存続しつつも権力は大きく制限された。この段階のフランス革命は、君主制と議会制を折衷した体制を模索する過程であった。
共和政の成立と王の処刑
しかし、国内では革命に反対する保守勢力や旧貴族、国外ではオーストリアやプロイセンなどの君主国が革命の波及を恐れて干渉戦争を開始し、情勢は急進化した。パリの民衆と急進派は王政廃止を要求し、1792年に王権は停止され、フランスは共和政へ移行した。やがて国王ルイ16世は対敵通謀の罪に問われ、1793年に処刑される。この王の処刑は、伝統的君主制との決定的断絶を意味し、ヨーロッパ全体に強い衝撃を与えた。
恐怖政治と革命の転回
対外戦争と国内反対派の蜂起に直面したジャコバン派政権は、ロベスピエールらの指導のもとで非常措置として恐怖政治を行った。公安委員会がほぼ独裁的権限を握り、多数の「革命の敵」がギロチンにかけられた。他方で、封建地代の無償廃止や最高価格令など、民衆の生活を守る政策も実施された。だが過度の粛清は反発を招き、1794年のテルミドール反動でロベスピエールは失脚した。その後、総裁政府期を経て、軍人ナポレオン・ボナパルトが台頭し、1799年のブリュメール18日のクーデタによってフランス革命は一応の終結を迎える。
フランス革命の意義と世界史的影響
フランス革命は、身分制社会を揺るがし、国民国家の理念と市民的自由の原理を打ち立てた点で世界史上画期的である。自由・平等・博愛の標語や「主権は国民にあり」という考え方は、のちの人権宣言や憲法制定、さらには19世紀の自由主義・国民主義運動の理論的基盤となった。また、国民皆兵にもとづく大規模な「国民軍」は、近代的な戦争形態を生み出し、ナポレオン戦争を通じてヨーロッパ中に革命の衝撃を広げた。こうしてフランス革命は、古い王侯貴族の秩序から、国民を主体とする近代の政治・社会秩序への大きな橋渡しを行ったのである。