パッラヴァ朝|石窟寺院とドラヴィダ様式の祖

パッラヴァ朝

パッラヴァ朝は南インドのトンダイマンダラム(現タミル・ナードゥ北部)を中心に3世紀頃から9世紀末まで存続した王朝である。王都はカーンチー(カーンチープラム)に置かれ、港湾都市マーマッラプラム(マハーバリプラム)を外海に開く拠点とした。初期はプラクリット語の銘文を残す地方勢力であったが、6~7世紀にマヘーンドラヴァルマン1世、ナーラシンハヴァルマン1世らのもとで台頭し、ヴァーターピのチャールキヤ朝と抗争しつつ南インドに覇権を広げた。後期にはパンディヤ朝、のちにチョーラ朝の進出を受けて衰退し、9世紀末に吸収される。政治・軍事に加え、ドラーヴィダ寺院建築の確立やグランタ文字の普及など文化史上の意義が大きい。

地理的基盤と王権の性格

支配領域はコーラム川とペンナール川の間に広がる沿岸平野で、デルタ稲作と内陸の貯水池灌漑に支えられた。王権は土地寄進を通じてブラーフマナ共同体(アーグラハーラ/ブラーフマデーヤ)と提携し、寺院と村落のネットワークを束ねることで地方統合を進めた。初期銘文はプラクリット語、のちにサンスクリット語とタミル語が併用され、宮廷はサンスクリット学芸とタミル文学の双方を保護した。

政治史の展開

6~7世紀、マヘーンドラヴァルマン1世(在位600頃–630頃)は岩窟伽藍の造営とともに内政を整え、後継のナーラシンハヴァルマン1世(在位630頃–668)はチャールキヤ朝のプラケーシン2世と戦ってヴァーターピを攻略したと伝えられる。8世紀のナーラシンハヴァルマン2世ラージャシンハ(在位700頃–728)はカーンチーのカイラーサナータ寺院を造営し王威を示した。9世紀に入るとパンディヤ朝やラシュトラクータ朝の圧迫が強まり、ダンティヴァルマン、ナンディヴァルマン3世を経てアパラジタの時代、チョーラ朝のアーディティヤ1世に敗れて王統は終焉へ向かった。

都市・社会と経済

王都カーンチーは学芸と宗教の中心であり、交易面ではマーマッラプラムが外洋航路に接続した。米・胡椒・織物・宝石などが内外に流通し、ベンガル湾を横断する海上ネットワークでスリランカや東南アジアと結ばれた。土地寄進に付随する租税免除と寺院の経済活動は、村落自治・職能集団の発展を促した。

文字・言語と文献資料

王朝期にはグランタ文字が整い、サンスクリット文献の筆写・刻文に広く用いられた。タミル語は碑文・讃歌で重要性を増し、バクティ運動を担う聖者の詩歌が広まった。史料の主軸は銅板文書と石刻であり、王位継承・土地寄進・特権確認が詳細に記される。

用語注記(グランタ文字)

グランタは南インドでサンスクリットを表記するために用いられた文字体系で、のちに東南アジア文字へも形象的影響を与えたと考えられる。

宗教と思想

王家はシヴァ派・ヴィシュヌ派をともに保護し、宗派間の均衡を保ちながら王権の正統性を強化した。7世紀のナヤナールやアルヴァールの讃歌は王と都市・寺院を結ぶ象徴資源となり、巡礼・祭礼は都市の公共空間を活性化させた。初期にはジャイナ教の存在も知られ、知識人サークルの多元性がうかがえる。

美術・建築の革新

パッラヴァ朝は南インドにおける石造寺院建築への転換点として位置づけられる。岩窟から単体の石塊を彫り出した「ラタ(車)」、さらに切石積の構造寺院へと発展した。代表例はマーマッラプラムの五つのラタ群と海岸寺院、カーンチーのカイラーサナータ寺院・ヴァイクンタペルマル寺院である。獅子柱頭、ソーマスカンダ(シヴァ・ウマー・童子)の浮彫、層塔ヴィマーナの初期形態など、のちのドラーヴィダ様式を準備する意匠が確立した。

年表(要点)

  1. 3~4世紀:沿岸タミル地域で地方政権として台頭。
  2. 6世紀初:宮廷文化の整備、岩窟伽藍の営造。
  3. 630~668年:ナーラシンハヴァルマン1世、ヴァーターピ攻略で威信を高める。
  4. 700~728年:ラージャシンハ、カイラーサナータ寺院を造営。
  5. 8~9世紀:周辺大国との抗争激化、領域縮小。
  6. 9世紀末:チョーラ朝の拡張で王統終息。

銅板と石刻にみる統治像

銅板は王権の法的記憶装置として機能し、村境の位置、免税の詳細、祭祀の負担、寄進地の不可侵などを条文化した。石刻は寺院・洞窟・基壇部に刻され、王名・称号・干支年号・寄進者の系譜を示す。これらは行政区画や官職名、軍事的称号の分布を復元する一次史料である。

国際交流と海域世界

ベンガル湾の季節風航海に乗り、商人・僧侶・職人が往来した。美術意匠や宗教儀礼、言語・文字が海域を介して循環し、南インドの造寺技術は東南アジア諸地域に新たな造形語彙をもたらした。貨幣・計量・度量衡の調整は都市間交易の信頼を支え、王権は関税と港市管理によって歳入を確保した。

史料例

  • カサクーディ銅板:寄進の法制化と官僚制の断片を伝える。
  • ヴェールルパライヤム銅板:王統の継承と権利確認を列挙。
  • 寺院銘文:工匠・ギルド・寄進者の名簿を記す。

意義と評価

パッラヴァ朝は、王権と寺院・村落の三者関係を基盤に、学芸・宗教・建築を結節させた点で南アジア史上の転回点である。石造建築への移行、文献学術の保護、ベンガル湾に開いた港市運営は、後続のチョーラ朝による大寺院時代の前提を準備した。海域アジアの文物交流においても、文字・意匠・信仰の伝播のハブとして位置づけられる。