ハーグリーヴズ|産業革命期の紡績機発明者

ハーグリーヴズ

ハーグリーヴズ(James Hargreaves, 1720頃〜1778頃)は、18世紀イギリスのランカシャー地方出身の機織工・発明家であり、多錘式紡績機「ジェニー紡績機」を考案した人物である。彼の発明は、木綿糸の生産性を飛躍的に高め、イギリスの綿工業と初期の産業革命を大きく前進させた。大資本家ではなく、在宅手工業に従事する職人から出た発明であった点に、当時の産業社会のダイナミズムがよく表れている。

生涯と時代背景

ハーグリーヴズは、綿織物業の中心地であったランカシャー地方の近郊村に生まれ、家内工業の織工として生計を立てていたと考えられている。当時のイギリスでは、綿布の需要拡大とともに、商人が原料と注文を農村の家々に配る問屋制家内工業が発達していた。一方で、先行する発明である飛び杼によって織布の能率が上がると、今度は糸の供給不足が深刻化した。この「織りは速いが紡ぎは遅い」というアンバランスを解消する必要から、新たな紡績技術の模索が始まり、その流れの中からハーグリーヴズの構想も生まれた。

ジェニー紡績機の発明

伝承によれば、ある日子どもが従来型の紡ぎ車を倒したことがきっかけで、ハーグリーヴズは糸を紡ぐ機構を縦に並べるという発想を得たとされる。実話かどうかは定かでないが、1本の糸しか紡げなかった従来の紡ぎ車を、多数の紡錘を並べて同時に操作できる装置へと変換した点は歴史的に重要である。1760年代半ば、彼は数本の糸を同時に紡げる試作機を自作し、それが後に「ジェニー紡績機」と呼ばれるようになった。

構造と仕組み

  • 複数の紡錘を一列または二列に並べ、1人の作業者が同時に操作できるようにした。
  • 片手で糸束をつかみながら、もう一方の手でハンドルやスライドを動かし、一度に多くの糸を引き伸ばして撚りをかけた。
  • 初期の機械では8本程度から始まり、改良とともに16本、32本と紡げる糸の本数が増えていった。
  • 動力は人力であり、後の水力・蒸気動力の機械に比べれば小規模で、家内工業の延長線上に位置づけられる。

技術的・経済的意義

ハーグリーヴズのジェニー紡績機は、織布業者に慢性的に不足していた緯糸の供給を大きく改善し、木綿布を安価かつ大量に市場へ供給する道を開いた。ジェニーによる糸は比較的細く柔らかく、主として緯糸に用いられたが、それでも従来の手紡ぎと比べると格段の能率向上であった。この発明は、のちに水力を利用した紡績機や、複数の原理を組み合わせた改良機が登場する土台を提供し、綿工業全体の機械化の出発点とみなされている。

紡績労働への影響と抵抗

ジェニー紡績機は、家内工業の紡ぎ手、とくに農村の女性や子どもたちの仕事を奪うのではないかという不安を引き起こした。ランカシャー地方では、機械化による賃金の低下を恐れた人々がハーグリーヴズの家に押し寄せ、彼の機械を破壊したと伝えられる。このため彼は、より安全に事業を続けられる地域へ移り、そこから商人との提携を通じて機械の販売や設置を進めた。こうした動きは、後の機械打ちこわし運動にもつながる、労働者の不安と抵抗の早い事例である。

特許と晩年

ハーグリーヴズは1770年にジェニー紡績機の特許を取得したが、それ以前から模倣機が広まり、多くの工場主が無断で採用していたため、特許による利益は限定的であったとされる。彼自身は巨万の富を築くことなく、比較的小規模な事業者として生涯を終えたと考えられている。それでも、その名は初期産業革命を代表する発明者として歴史に刻まれ、技術が個人の天才だけでなく、家内工業の現場からも生み出されることを象徴している。

産業革命史における位置づけ

ハーグリーヴズのジェニー紡績機は、後に登場する大規模な工場制機械とは異なり、人力による比較的小さな装置であった。それでも、同時多糸紡績という発想は決定的であり、綿工業の生産構造を変える第一歩となった。機械化が進み、鉄製機械部品やボルトなどの標準化が進展すると、工場はますます巨大化し、労働と生活のリズムも変わっていく。この変化は、後に近代社会を批判的に捉えた思想家たち、たとえばニーチェサルトルのような哲学者が問題にした「人間と労働」「機械と自由」の問題とも深くかかわる。こうしてハーグリーヴズの発明は、技術史だけでなく社会思想史を考えるうえでも重要な出発点として理解されている。