ドル外交|資本輸出で勢力圏を広げる

ドル外交

ドル外交とは、20世紀初頭のアメリカ合衆国が、軍事力よりも自国の金融力・資本力を用いて他国への影響力を拡大しようとした外交政策を指す概念である。特にタフト政権期に、ラテンアメリカや東アジアに対してアメリカの銀行・企業による投資や借款を推進し、政治的安定の名のもとに経済的従属を強めた点が特徴とされる。これはセオドア=ローズヴェルトの棍棒外交が軍事力を背景とした強硬姿勢であったのに対し、「弾丸の代わりにドルを用いる」試みとして理解される。

ドル外交の成立背景

ドル外交の背景には、19世紀末以降のアメリカ産業資本の急速な成長と、余剰資本の投資先として海外市場を求める動きがあった。米西戦争後、アメリカはフィリピンやグァムなどを獲得して本格的な帝国主義国家へと歩み出し、カリブ海や太平洋に勢力圏を築こうとした。セオドア=ローズヴェルト政権は、モンロー主義を発展させた「ローズヴェルト系論」を掲げ、必要に応じて武力干渉も辞さない外交を展開したが、その後を継いだタフト政権は、同じ目的をより金融・経済的な手段によって実現しようとしたのである。

タフト政権とドル外交の理念

ドル外交を推進したタフト大統領と国務長官ノックスは、アメリカ資本の海外進出を促し、それによって相手国の財政を安定させ、同時にアメリカの政治的影響力を強めることを狙った。とくにカリブ海や中米では、アメリカの銀行団に国債の引き受けや税関収入の管理を行わせることで、政情不安と欧州列強の介入を防ごうとした。この構想は、前任者セオドア=ローズヴェルトの武力中心の外交路線と連続しつつも、その手段を金融にシフトさせたものとして位置づけられる。また、この時期のアメリカ外交は、後に「進歩主義時代」の国内改革と連動しつつ、対外的には経済的支配を強める方向に傾斜していた。

ラテンアメリカ・カリブ海地域での展開

ドル外交が最も積極的に展開されたのは、ラテンアメリカとカリブ海地域であった。ニカラグアやホンジュラスなどでは、アメリカの銀行団が国債を引き受け、税関収入を担保とする形で借款を供与し、その見返りとして財政・関税制度に対する管理権を獲得した。これにより、アメリカはヨーロッパ列強の貸付による介入を排除し、自らの勢力圏を固めようとしたのである。このような政策は、カリブ海をアメリカの安全保障上の内海とみなすカリブ海政策と密接に関わり、実質的な保護国化を進める手段として機能した。その一方で、現地では民族主義的反発や反米感情を高める結果ともなった。

東アジアにおけるドル外交と門戸開放

タフト政権は、東アジアでもドル外交を展開しようとした。とくに満州鉄道利権への参加をめぐっては、中国の市場と資源に対するアメリカの関心が示されている。これは、先にジョン=ヘイが提唱した門戸開放宣言の路線を、金融投資の面から補強しようとする試みであった。アメリカは列強による勢力範囲の分割に反対し、中国全土での均等な通商機会を主張しつつ、自国資本の鉄道・鉱山事業への参入を図った。しかし、満州では日本やロシアの既得権が強固であり、アメリカ資本の進出は限定的なものにとどまった。東アジアにおいてドル外交が十分な成果を上げられなかったことは、その限界を象徴する事例といえる。

ドル外交への批判と限界

ドル外交は、表向きには相手国の経済発展と政治的安定を支援する「協力」の姿をとりながら、実際にはアメリカの銀行・企業の利益確保と政治的従属をもたらす政策であった。このため、ラテンアメリカ諸国では、国内の民族主義勢力や知識人を中心に、経済的帝国主義として強い批判が向けられた。また、アメリカ国内でも、金融資本の利益があまりに優先されているとの批判が起こり、「進歩主義時代」の改革派の一部は、こうした海外政策が民主主義の理念と矛盾すると問題視した。さらに、欧州列強や日本など既存の利権を持つ列強との対立も招き、必ずしもアメリカの思惑どおりに国際秩序を再編できたわけではなかった。

ウィルソン外交への転換とドル外交の歴史的意義

タフト政権の後に登場したウィルソン政権は、形式上はドル外交を否定し、「道徳的外交」や民族自決の原則を掲げた。しかし、実際にはメキシコやカリブ海地域への干渉が続き、アメリカの経済的・軍事的優位を前提とする対外政策そのものが放棄されたわけではない。むしろ、軍事力と金融力を組み合わせて勢力圏を維持・拡大するという点では、タフトの路線と連続性を持っていたと評価できる。20世紀以降のアメリカ外交を通観すると、ドル外交は、後の国際金融体制や経済援助政策の先駆的な形態として位置づけられ、国内の進歩主義的改革と帝国主義的膨張が併存した時代の特質を象徴する概念であると言える。