トゥグリル=ベク|セルジューク朝の初代スルタン

トゥグリル=ベク

トゥグリル=ベクは11世紀のトルコ系遊牧勢力セルジューク家の首長であり、ホラーサーンからイラクに進出してスンナ派秩序を復活させ、1055年にバグダードへ入城してアッバース朝カリフから「スルタン」の称号を受けた人物である。兄弟のチャグリ=ベクとともにオグズ遊牧連合を率いてガズナ朝の圧力下で勢力を蓄え、1040年のダンダナカンの戦いで決定的勝利を収め、ホラーサーンを掌握した。以後、ニシャープールやレイを拠点にイラン高原を横断する政治秩序を再編し、ブワイフ朝の軍閥支配を終わらせ、カリフ制の宗教的権威に軍事的保護を与える新たな二元体制を築いた。

出自と部族的背景

トゥグリル=ベクはセルジューク家の孫世代に属し、オグズ系トルコ人の首長層として草原の軍事力とオアシス都市の税収を接続する術に長けていた。遊牧連合は氏族間の合議と戦時指揮によりまとまり、機動力の高い騎兵を中核として周辺政権の軍事空白を突くことで領域を拡大した。彼は部族の定住化を急がず、季節移動と都市支配を併用する柔軟な統治様式を示した。

遊牧連合の形成

セルジューク家は婚姻関係と戦利分配で支持基盤を固め、遠征時は氏族長をアミールとして編成、平時は都市在住の書記・商人と連携し補給と徴税を確保した。この「草原―都市複合」はのちのイラン・イラク統治の基層となる。

台頭とダンダナカンの戦い

1040年、ホラーサーン西部でのダンダナカン会戦において、セルジューク軍はガズナ朝マスウードの大軍を撃破した。これによりホラーサーンの主要都市ニシャープール・メルヴ・ヘラートが次々と開城し、金曜礼拝のフトバにセルジュークの名が唱えられ、貨幣鋳造でも主権が表示された。勝利はイラン高原の勢力均衡を一変させ、セルジューク朝成立の決定点となった。

  • 1040年:ダンダナカン勝利、ホラーサーン掌握
  • ニシャープールでの主権宣言と行政の再建
  • フトバ・貨幣での名乗りによる正統化

レイ・イスファハーンの掌握と統治の模索

トゥグリル=ベクはイラン中部へ進み、レイ(テヘラン近郊)やイスファハーンを抑えて交通路を掌握した。都市統治では市場の安定と治安維持を最優先し、地元の官人を登用して財政を再建した。遊牧の動態性を保ちながら、都市の租税収入を軍事力の維持に振り向ける仕組みが整えられた。

初期イクターの萌芽

将士に対する俸給の代替として土地税収(イクター)の割当が試みられ、兵站と常備性の向上に寄与した。制度化は後代のニザーム=アル=ムルクによって進むが、その原型はこの時期に芽生えたとみられる。

バグダード入城と「スルタン」号の授与

1055年、バグダードで長らく権勢を誇ったブワイフ朝の影響が衰えると、カリフ・アル=カーイムは軍事的保護者を求め、トゥグリル=ベクを召した。セルジューク軍は入城して秩序を回復し、彼はカリフから「スルタン」の称号を賜り、宗教権威(カリフ)と世俗武力(スルタン)が協調する体制が成立した。これによりシーア派系政権の政治的優越は終息し、スンナ派中心の公秩序が回復した。

都市統治の方針

バグダードでは市場の再開、道路・橋の修復、学者や法学者(ウラマー)の保護が進められた。モスクとバザールの安寧は徴税と物資流通を促し、カリフの宗教的権威も安定した。

行政と軍制の整備

トゥグリル=ベクの下で、トルコ系騎兵を中心に奴隷軍や志願兵を交えた複合軍が形成され、地域有力者はアミールとして編入された。徴税・軍役・裁判の分掌が進み、文人官僚の関与が深まることで、移動政権でありながら持続的な支配が可能になった。これらはのちの宰相ニザーム=アル=ムルクによる制度化へと継がれる。

  1. 軍事:騎兵主力・遠征時の機動打撃
  2. 財政:税区画の整理と割当
  3. 司法:法学派に基づく判事任用

宗教政策とスンナ派復興

カリフの権威を保護する立場から、ハナフィーやシャーフィイー法学の学芸支援が進められた。金曜礼拝のフトバではカリフに続けてスルタン名が唱えられ、宗教的正統性と世俗権力の協働が視覚化された。シーア派との対立は政治的次元で抑制され、都市騒擾の鎮静と学寮建設の前提が整った。

対外関係とアナトリア方面

イラン西縁ではビザンツ帝国との境域に新たな前線が生まれ、セルジューク系軍事集団がアナトリア高原へ斥候・略営を重ねた。この動きは甥アルプ・アルスラーンの時代に結実し、マラーズギルドの勝利(1071年)へと連なる。トゥグリル=ベクはその地ならしとして、コーカサス・アルメニア方面の圧力と、シリア・ジャズィーラの勢力均衡調整を進めた。

巡礼路と地域秩序

イラクからヒジャーズへの巡礼路の保全は威信政策であり、隊商保護は商業税収の安定とも直結した。地方総督の任免は迅速で、背反や私兵化の芽を抑えた。

晩年・後継と王権の継承

1063年、トゥグリル=ベクは没し、後継争いを経て甥アルプ・アルスラーンが王位を継いだ。王家内の競合はあったが、部族連合の調停機構と軍事的成果が王権を支え、セルジューク朝はイラン・イラク・アナトリアをつなぐ広域国家として成熟していく。

歴史的意義

トゥグリル=ベクの事績は、草原の軍事力とイスラーム世界の宗教的権威を結合し、イラン・イラクに安定的なスンナ派秩序を再建した点にある。彼は都市財政と騎兵軍制を結びつける統治モデルを提示し、後世のルーム・セルジュークやオスマン帝国の前提を形づくった。遊牧と定住、部族と官僚、宗教と軍事が相互補完する枠組みは、中東の政治文化に長期の影響を残したのである。