テミストクレス|ギリシア艦隊の将

テミストクレス

テミストクレスは、前528頃~前462に活躍したアテネの政治家である。当時ペルシア戦争でギリシア艦隊を指揮し、ペルシア軍を撃破、アテネの勝利を確実なものとしたことで知られる。しかし、後に、陶片追放によってアテネを追放されることとなる。

サラミスの海戦

前480年、テミストクレス率いるギリシア艦隊にがペルシア艦隊を破った戦いである。テミストクレスによる巧みな指揮によって、ペルシア艦隊をアッティカとサラミス島の間のサラミス湾に誘い込み、撃破することに成功した。この海戦の勝利によってペルシア戦争への勝利を決定づけた。

三段櫂船

ペルシア遠征が予測されていた前483(または482)年に、アッティカのラウレイオン銀山で豊富な銀鉱脈が発見された。一部の市民は市民間に平等に分配することを提案したが、テミストクレスはこれを艦隊建設費にあてるべきだと主張した。テミストクレスは、分配派のアリスティデスを陶片追放にかけ、200隻の三段櫂船を建造した。これがサラミス海戦に勝利する決定打につながる。

ラウレイオン

ラウレイオンはアテネの銀山である。アテネ市民に採掘権が貸し出され、そこで多数の女奴隷が酷使されて、アテネの経済力を支えた。

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