ツンフト闘争|都市支配を巡る職人と富裕層の抗争

ツンフト闘争

ツンフト闘争は、中世後期のドイツ語圏都市で、手工業者の団体であるツンフト(Zunft、いわゆるギルド)が、都市政権を握る富裕層・商人貴族(パトリキアート)や既存参事会(Rat)に対して参政権・統治参加を要求して展開した政治社会的闘争である。商業と手工業が発達し、税・関税・計量・賃金・価格の統制権をめぐる利害が先鋭化するなかで、市壁防衛や治安維持を担う手工業団体は、自らの負担に見合う代表と監督を主張した。とくに皇帝直属の帝国都市や、広範な自治を持つ自由都市で顕著にみられ、都市共同体の制度形成に深い痕跡を残した。

歴史的背景

12〜14世紀にかけての交易拡大と貨幣経済の浸透は、都市住民を分化させ、輸出入を掌握する商人層と、生産を担う手工業者層との利害対立を生んだ。商人層は参事会を通じて関税・市益・裁判権を掌握し、同業者団体の政治参加を抑制した。他方、手工業者はツンフトとして結束し、職能の規約化・品質管理・相互扶助を進めつつ、市政への発言権を要求した。バルト海交易圏ではハンザ同盟都市での競争圧力が強く、規制と代表の配分をめぐる争いが激化した。

要求と理念

ツンフト側の中心要求は、①公平な課税と会計監査、②参事会への議席配分、③計量・品質・価格の公正な規制、④治安・防衛負担に見合う統治参加、であった。彼らは職能的名誉と共同体の安寧を掲げ、兄弟会的な宗教的結束や相互扶助を道徳的根拠とした。これに対しパトリキアートは、遠隔交易のリスクと投資に基づく統治経験を理由に、統治の一元性と迅速性を主張して抵抗した。

闘争の典型的展開

  • 合法的参入:一部の都市では、ツンフトごとの代表を参事会に割り当て、二元的な市政(Rat+Zünfte)を形成した。
  • 蜂起と交替:税制・通行税・穀物統制を契機に市庁舎占拠が生じ、臨時評議会が選出される事例がみられた。
  • 和約(Rezess)による妥協:規制権限や会計監査の共有、任期制導入、陪席審判の整備などが合意された。
  • 逆流と再編:景気後退や対外戦争時には旧支配層が復権し、ツンフトの政治権が縮小される循環も生じた。

主要事例(概観)

  • チューリヒ(1336):ブルンの改革により「ツンフト憲章」が制定され、ギルド代表が市政に常設参入した。
  • シュトラスブルク(1332前後):手工業団体が主導する政体へ移行し、参事会構成が再編された。
  • ケルン(1369〜1371):織工の反乱として知られ、賦課・価格統制・裁判の扱いをめぐる対立が先鋭化した。
  • ブラウンシュヴァイク(1370年代):肉屋ギルドらの蜂起と和約、評議会の再編が段階的に進んだ。
  • バーゼル(14世紀):震災前後にツンフトが政治参加を拡大し、行財政の監督機構が整備された。
  • リューベック(14世紀後半):対外競争の激化と内政改革が絡み、代表配分と監査をめぐる調整が続いた。

制度化の帰結

ツンフトの参政は、市政に監査性と現場知を持ち込み、度量衡・品質・価格の公的統制を日常行政に織り込んだ。他方で、職人資格・徒弟制度・営業許可の硬直化をもたらし、景気変動時には失業と価格の調整弾力性を損なう側面もあった。とはいえ、防衛・消防・福祉の面では共同体的互助が機能し、都市自治の実効性は増した。とくに皇帝直轄の帝国都市では、都市と帝権の均衡の中でこの二元体制が長く維持された。

地域比較と広がり

ドイツ語圏の現象であるが、北イタリアのコムーネや都市共和国にみられる市民団体の政治参加と比較されることが多い。ただしイタリアの党派抗争が貴族内部の派閥対立に重心を置くのに対し、ツンフトの運動は職能団体の制度的代表を軸に展開した点で性格を異にする。バルト海岸のハンザ同盟圏では、対外交易と海上防衛の要請が強く、行政の均衡設計がとくに重視された。

歴史学的評価

ツンフト闘争は、「身分制都市社会」の自律的調整装置として理解される。すなわち、税・規制・治安・福祉の分配をめぐる利害を、暴発と妥協、制度化と逆流の循環を通じて漸進的に均衡させた過程であった。近世初頭には領邦国家の監督が強まり、市政の専門化が進むが、ツンフト由来の監査・規制・相互扶助は引き継がれ、市民的自治の実務文化として残存した。

語源と用語

Zunftはドイツ語で職能団体を指し、日本語では「ツンフト」と表記される。参事会はRat、商人貴族はPatrizierと表される。一般語としての「guild」は手工業者団体全般を指すが、地域史では都市法・自治制度との結びつきを強く含意する。

関連項目