ツタンカーメン王
ツタンカーメン王は、古代エジプト新王国第18王朝末期に在位したファラオである。アメンホテプ4世(アケナテン)の宗教改革後、その名を改めた若き王として知られ、約10歳前後で王位につき、19歳頃にこの世を去ったと推定されている。長くはない治世であったが、失われていた多神教祭祀を復興し、テーベのアメン神に代表される旧来の信仰を取り戻す政策を進めた点が重要である。死後数千年の時を経て、1922年に王家の谷で発見された遺物の数々が世界的なセンセーションを巻き起こし、ツタンカーメン王の名は一躍有名になった。
生い立ちと即位
ツタンカーメン王は先王アケナテンの近親と推定されるが、正確な血縁関係には諸説がある。アケナテンは唯一神アテンを崇拝する宗教改革を実施し、新たな首都アケトアテン(現在のテル=エル=アマルナ)を築いた。だが、この改革はアメン神をはじめとする伝統的な神官団の支持を失い、国内の混乱を引き起こしていた。まだ幼少であったツタンカーメン王は、その混乱を収める形で即位し、名を「トゥトアンクアテン」から「トゥトアンクアメン」へと改めて新都を放棄、テーベをふたたび宗教の中心に据えたのである。
宗教と政治の復興
即位後のツタンカーメン王は、アメン神をはじめとする多神教の復活に取り組み、アマルナ政策で失墜していた宗教秩序の再編を図った。王の名を冠した碑文や奉納物からは、王権と神々を結びつける従来の典礼が復活し、伝統文化の尊重に重きが置かれたことがうかがえる。また、幼少のため政務の実権は大臣や神官団が握っていたとされるが、ツタンカーメン王が大きな反対なく統治を続けられた背景には、国内が強く旧来の信仰を求めていた事情もあると考えられている。
短い治世の影響
強大な業績を残すには至らなかった一方で、ツタンカーメン王の短い治世は混乱を和らげる一定の役割を果たした。アケナテン時代に荒廃した神殿や祭祀が復活し、王族の威光を取り戻すうえで礎となったのである。死因については病気説や事故説など複数の見解があり、発見されたミイラの検証結果でも完全な一致は得られていない。この謎めいた早世が、後世の興味をさらに高める一因ともなったといえる。
王家の谷とKV62
ツタンカーメン王が葬られた王家の谷(Valley of the Kings)は、新王国時代の王たちの墓所が集中する場所である。彼の墓はKV62の名称で知られ、内部の壁画や副葬品がほぼ手つかずの状態で残されていた。その理由のひとつには、急造の墓地であったため盗掘者にとって認知度が低かった可能性がある。複雑な墓の構造ではなく、小規模な構造であったことも幸いし、現代に至るまで黄金マスクなど貴重な遺宝が残されたのである。
ハワード・カーターによる発見
1922年、考古学者ハワード・カーターと資金援助者カーナヴォン卿によって、ツタンカーメン王の墓が発見された。この発見はエジプト学史上最大のセンセーションを巻き起こし、テレビや新聞などを通じて世界中の注目を集めた。華麗な黄金マスクをはじめ、玉座、棺、日用品に至るまで膨大な副葬品が精巧な状態で残されており、王室の威厳と古代エジプト芸術の高さを如実に示した。カーターの徹底した発掘・記録手法もその後の考古学に大きな影響を与えた。
遺品と黄金マスク
副葬品の中でも最も有名なのが、青や金の宝石装飾が施された黄金マスクである。まさにツタンカーメン王の象徴といえるこのマスクは、精緻な金細工と彫刻技術が融合し、古代エジプトの工芸の頂点を示すといわれる。その他にもオーケストラ椅子や王の戦車、数多くの装飾品や護符類が発見され、当時の生活や葬祭文化を立体的に明らかにする貴重な資料となっている。これらの遺宝は現在、エジプト国内外で展示され、多くの人々を魅了してやまない。
- KV62:王家の谷で発見された墓の正式名称
- アマルナ:先王が築いた新宗教の中心地
- 黄金マスク:ツタンカーメンを象徴する至宝