チャーティスト運動|普通選挙を求めた労働者運動

チャーティスト運動

チャーティスト運動は、19世紀前半のイギリスで展開した労働者階級による議会改革運動である。1832年のイギリス選挙法改正後も、政治的権利から排除された都市労働者が、普通選挙権をはじめとする「人民の権利」を要求したことに特徴がある。この運動は、ブルジョワ層中心のイギリスの自由主義的改革をさらに押し進め、近代的な民主主義体制の成立を促す転換点となった。名称は1838年に公表された「人民憲章(ピープルズ・チャーター)」に由来し、その6か条の要求は後世の民主化要求の原型となった。

発生の背景と前史

18世紀末からの産業革命によって、工業都市には多数の賃金労働者が集中したが、議会制度は依然として地主貴族と一部有産市民に有利な仕組みであった。とくに人口が少ないにもかかわらず議席を維持する腐敗選挙区の存在は、政治的腐敗の象徴とみなされた。ホイッグ党のグレイ内閣による1832年の選挙法改正(第1回)は、こうした不均衡を一定程度是正したが、新たに選挙権を得たのは中産階級が中心であり、工場労働者の多くは依然として無権利であった。同時期に実現したカトリック教徒解放法審査法の廃止も、信仰や身分による差別を軽減したが、社会の最下層に位置する労働者の政治参加という課題は残されたままであった。

人民憲章と6か条の要求

チャーティスト運動の中心理念は、1838年にロンドン労働者協会などが作成した「人民憲章」に明示された。これは既存の憲法そのものを根本から変えるものではなく、議会制度を民主化して労働者にも政治参加の道を開くことを目的とする実務的な改革案であった。後の自由主義的改革にも大きな影響を与えたこの文書は、次の6か条を掲げたことで有名である。

  • 成人男子による普通選挙
  • 無記名投票(秘密投票)の実施
  • 議員の財産資格の廃止
  • 議員への歳費支給
  • 選挙区割の公正化(人口に応じた区割り)
  • 毎年の議会開会(年次議会)

これらは当時のイギリス社会からすれば急進的であったが、後世の基準から見れば、近代的議会制民主主義の基本原則と評価できる。とくに普通選挙と秘密投票の要求は、労働者が雇用主や地主からの圧力なしに投票できる環境をめざすものであり、階級支配の構造に正面から挑む性格を持っていた。

運動の展開と挫折

チャーティスト運動は、請願署名と大衆集会を組み合わせた形で全国的に広がった。1839年には最初の国民請願が議会に提出されたが、圧倒的多数で否決され、その過程で一部地域では武装蜂起未遂も起こった。40年代に入ると不況や失業の拡大を背景に再び運動が高まり、1842年にはゼネストを伴う第2回請願、1848年には革命の波及を受けた第3回請願が実施された。しかし、署名数の水増しが問題視されたことや、指導部内部の路線対立、政府の強硬な弾圧などの要因が重なり、運動は次第に求心力を失っていった。同時期にアイルランドで大衆運動を指導したオコンネルとは対照的に、チャーティスト指導者たちは統一戦略を維持できず、1840年代後半には大規模運動としての勢いを失った。

労働者運動への影響と歴史的意義

チャーティスト運動は、直接的には人民憲章の6か条を実現できず、短期的には「失敗」と評価されることが多い。しかし、その要求の多くは19世紀後半から20世紀初頭にかけて、段階的な選挙法改正やイギリス選挙法改正の累積を通じて実現していった。労働者が自らの組織を持ち、全国的なネットワークを形成して議会に圧力をかけた経験は、後の労働組合運動や労働党形成の土台となった。また、人道主義的な奴隷制度廃止運動などと並び、社会下層の権利要求が政治制度を変革しうることを示した点でも重要である。このように、チャーティスト運動は、イギリス近代史における大衆民主主義の出発点として位置づけられ、のちのイギリスの自由主義的改革の方向性を先取りした運動として理解されている。