ダーダネルス=ボスフォラス海峡
ダーダネルス=ボスフォラス海峡は、小アジアとバルカン半島のあいだに位置し、エーゲ海・マルマラ海・黒海を連結する細長い海峡群である。西からエーゲ海とマルマラ海を結ぶダーダネルス海峡、マルマラ海と黒海を結ぶボスフォラス海峡の二つから構成され、両者をあわせてトルコ海峡と呼ぶ。ヨーロッパとアジアという二大陸を分かつ境界であり、古代から現代に至るまで、軍事・通商・文明交流の要衝として世界史に大きな影響を与えてきた。
地理的特徴と構成
ダーダネルス海峡はトルコ西部に位置し、エーゲ海とマルマラ海を結ぶ全長約数十kmの細長い水路である。海峡は両岸とも険しい丘陵地帯に囲まれ、最も狭い部分では数km程度しかないと言われる。一方、ボスフォラス海峡はイスタンブール市街の中心部を貫き、マルマラ海と黒海を結ぶ。こちらも幅の狭い部分が多く、急な流れと複雑な潮流が知られている。両海峡の間に挟まれたマルマラ海を含む一連の水路が、黒海沿岸地域と地中海世界を結ぶ唯一の海上通路である点に、その戦略的重要性がある。
古代からビザンツ帝国期までの歴史
古代ギリシア世界では、現在のダーダネルス海峡はヘレスポントスと呼ばれ、黒海沿岸への植民活動や穀物貿易の玄関口となった。トロイア戦争の舞台とされた地域もこの周辺であり、神話や叙事詩の世界にも頻繁に登場する。やがてボスフォラス海峡沿岸にはビュザンティオンが築かれ、後にコンスタンティノープルとして東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都となると、海峡の支配は帝国存続の生命線となった。地中海と黒海のあいだを往来する艦隊・商船は、この狭い水路を通過せざるをえず、海峡を抑える者が交易と軍事の主導権を握ったのである。
オスマン帝国による支配
15世紀半ば、メフメト2世の軍勢がコンスタンティノープルを陥落させると、この海峡地帯はオスマン帝国の支配下に入り、帝国は黒海・エーゲ海・地中海を結ぶ海上交通を一手に掌握した。オスマン政府は外国軍艦の通行を厳しく制限し、黒海をほぼ「内海」として支配したため、海峡はヨーロッパ諸国にとって政治・軍事的な交渉の焦点となる。帝都イスタンブール(旧コンスタンティノープル)を正面に臨むボスフォラス海峡の両岸には砦や砲台が築かれ、海峡封鎖能力は帝国安全保障の基盤であった。
東方問題と海峡をめぐる国際政治
19世紀に入ると、衰退しつつあったオスマン帝国の領土と権益をめぐり、列強が介入する「東方問題」がヨーロッパ外交の中心課題となった。その中核にあったのが黒海から地中海へ抜ける通路であるダーダネルス=ボスフォラス海峡であり、ここをいかに管理し、どの国にどの程度の通航権を認めるかが、列強間の激しい駆け引きの対象となった。
ロシアの南下政策と海峡
黒海北岸を支配したロシア帝国にとって、凍結しない外洋への出口を確保することは死活的利益であった。そのためロシアは、黒海艦隊を地中海に展開する通路として海峡へのアクセスを切望し、バルカン半島や中東方面への進出、いわゆる南下政策を推し進めた。これに対し、ロシアの地中海進出を警戒するイギリスや、地中海政策を重視するフランスは、オスマン帝国の領土保全を支持しつつ、ロシアに対する牽制を強めていった。
クリミア戦争と海峡問題
19世紀半ばのクリミア戦争は、ロシアの黒海・海峡支配をめぐる対立が一気に表面化した戦争であった。ロシアがオスマン領内への干渉を強めると、イギリスとフランスはオスマン側を支援してロシアと戦い、戦場はクリミア半島に及んだ。戦後の講和条約では黒海の中立化とロシア艦隊の制限が取り決められ、海峡の軍事利用にも一定の国際的枠組みが設けられたが、ロシアの海峡進出への野心そのものを消し去ることはできなかった。
第一次世界大戦とガリポリ戦役
20世紀に入ると、海峡の戦略的重要性はさらに高まり、第一次世界大戦中にはダーダネルス海峡をめぐって激烈な戦闘が展開された。連合国軍は、海峡突破によってイスタンブールを攻略し、ロシアへの補給路を確保することを狙い、大規模なガリポリ上陸作戦を実行した。しかし地の利を得たオスマン軍の頑強な抵抗に遭い、連合軍側は大きな損害を被って撤退を余儀なくされる。この戦役は、オスマン側にとっては勝利の記憶であると同時に、のちのトルコ共和国指導者たちの名声を高める契機ともなった。
戦後処理と海峡の国際管理
第一次世界大戦の講和過程では、敗戦国となったオスマン帝国からどのように海峡支配権を切り離すかが問題となった。戦後当初の構想では、海峡を国際管理下に置き、軍艦・商船の自由な通行を保障する案が示されたが、トルコ民族運動の台頭と共和国樹立の過程で条件は再交渉されることになる。戦争終結と帝国解体は、海峡の法的地位を大きく揺るがしたのである。
現代トルコと海峡の法的地位
トルコ共和国の成立後、海峡の主権と通航制度は条約によって再定義され、トルコの領土主権と、国際海上交通の自由とのバランスを図る枠組みが整えられた。2つの海峡とマルマラ海を通じて、黒海沿岸諸国の穀物・石油・天然ガスが世界市場へ運ばれており、ダーダネルス=ボスフォラス海峡は現在もエネルギー安全保障やシーレーン防衛の観点から極めて重要な海域である。黒海沿岸に位置するロシアやウクライナ、さらにはNATO諸国との関係など、地政学的緊張が高まる場面では、海峡の通航条件が再び国際政治の焦点となる。
世界史における意義
以上のように、ダーダネルス=ボスフォラス海峡は、単なる狭い水路ではなく、古代ギリシア・ビザンツ・オスマン帝国から近代ヨーロッパの列強体制、さらには20世紀の第一次世界大戦と国際条約体制に至るまで、絶えず世界史の舞台となってきた地域である。黒海と地中海を結ぶ唯一の海上ルートをめぐる争奪は、東西文明の接触と衝突の歴史そのものを映し出しており、この海峡の動向をたどることは、国際政治・軍事史・経済史を総合的に理解するうえで欠かせない視点を与えてくれる。