ダヤーナンダ=サラスヴァティー
ダヤーナンダ=サラスヴァティーは、19世紀インドの代表的なヒンドゥー教改革者であり、宗教結社アーリヤ・サマージを創設した人物である。彼は「ヴェーダへの回帰」を唱え、偶像崇拝や身分制度の弊害を批判し、理性と古典経典に立脚した純粋なヒンドゥー教をめざした。また教育の普及や女性の地位向上を掲げたことから、インド社会改革と民族運動の前段階に大きな影響を与えた思想家として位置づけられる。
生涯と歴史的背景
ダヤーナンダ=サラスヴァティーは1824年、西インドのグジャラート地方に生まれた。幼少期からサンスクリット学とヴェーダの学習を受けたが、家族の信仰する偶像崇拝に疑問を抱き、若くして出家し各地を遍歴した。彼が活動した19世紀後半のインドは、イギリスのインド植民地支配が強まり、伝統社会が揺らぐ一方、英語教育や印刷技術の普及によって、新しい知識人層と改革の機運が高まりつつある時代であった。
思想と教え
ダヤーナンダ=サラスヴァティーの思想の中心は、ヴェーダを唯一の正しい啓示とみなす立場であり、後代の慣習や儀礼を排して原始の教えに立ち返ることであった。彼は多神教的な神観や寺院での偶像崇拝を否定し、唯一神への内面的な信仰を強調した。また盲目的な因習に反対し、理性と倫理に照らして宗教を理解すべきだと主張した。さらに彼はヒンドゥー教の身分制度の乱用を批判し、人間の価値は出生ではなく行為と徳により決まると説いた。
- ヴェーダを最高権威とする教典中心主義
- 偶像崇拝・迷信・呪術的儀礼への批判
- 理性と道徳に基づく信仰の重視
- 身分制度の弊害是正と道徳的平等の強調
アーリヤ・サマージの創設
ダヤーナンダ=サラスヴァティーは1875年、ボンベイでアーリヤ・サマージを組織した。この団体は、ヴェーダの教えに基づく信仰共同体であると同時に、社会改革を推進する運動体でもあった。アーリヤ・サマージは僧侶だけでなく在家信者が参加する開かれた団体として、集会・講演・出版活動を通じて教えを広めた。また学校やグルクルと呼ばれる寄宿制教育機関を設立し、サンスクリットと近代知識の両方を教えることで、新しいインド人エリート層の形成に寄与した。
社会改革とインド民族運動への影響
ダヤーナンダ=サラスヴァティーは、ヒンドゥー社会内部の改革を重視し、とくに女性と下層民の地位向上を訴えた。彼は幼児婚を批判し、寡婦の再婚を認めるべきだと主張したほか、女子教育の拡充を支持した。またアーリヤ・サマージはインド固有産業の利用をすすめる傾向をもち、のちのスワデーシー運動にも通じる経済的自立の意識を育てた。パンジャーブなど北インドでは、アーリヤ・サマージの信者の中から、のちに国民会議派などインド民族運動を担う活動家も現れ、この意味で彼の思想は宗教改革を超えて政治的覚醒を準備したと評価される。
著作と歴史的意義
ダヤーナンダ=サラスヴァティーは主著『サティヤールタ・プラカーシュ』において、ヴェーダに基づくヒンドゥー教の再解釈と社会批判を体系的に示した。この著作は難解なサンスクリットではなく、広く読まれるヒンドゥスターニー系の言語で書かれ、多くの読者を獲得した。彼は1883年に死去したが、アーリヤ・サマージはその後も各地に広がり、学校・救済事業・宗教討論を通じて影響力を保ち続けた。19世紀インドにおけるヒンドゥー教改革運動の流れの中で、彼はラーム=モーハン=ローイらと並んで近代ヒンドゥー教の方向性を形作った思想家であり、宗教・社会・民族意識を結びつけた点で重要な歴史的意義をもつ人物である。