タバリー|イスラーム史の巨匠にして注釈学者

タバリー

タバリー(Abu Ja'far Muhammad ibn Jarir al-Tabari, 839–923)は、アッバース朝期バグダードを中心に活躍したイラン系学者である。クルアーン注釈(タフスィール)と通史(年代記)の二大分野で古典的規範を築き、厳格なイスナード(伝承連鎖)と語彙学・文法学を組み合わせる方法で知られる。代表作は『Jami' al-bayan』(通称タバリー注解)と『Tarikh al-rusul wa'l-muluk』(預言者と諸王の歴史)で、いずれもスンナ派知的伝統の骨格を形づくった。彼は独自法学派(Jariri)を唱えたが後世には消滅し、主として注釈家・歴史家として記憶される。

生涯と学問形成

タバリーはタバリスタン(現イラン北部アーモル)に生まれ、幼少より暗誦とハディース学を修めた。青年期にラーイ、バスラ、クーファ、さらにバグダードやエジプト・シリアを遍歴し、多様な学系から伝承と語学知を収集した。最終的な活動基盤はバグダードに置かれ、講義と著述を並行する書斎的生活を送った。彼は神学論争に深入りするより、諸伝承を幅広く蒐集・整理し、読者が判断できる形で提示することを旨とした。

主要著作の構成と狙い

タバリーの二大著作は、イスラーム知の保存・運用の実践である。前者は経文の意味を語学・読誦異読・預言者言行・同時代学者の見解から統合し、後者は天地創造から彼の時代に至る政治・社会史を年代順に編む。

  • 『Jami' al-bayan』:語彙解釈、qira'at(異読)、ハディースを提示し、根拠の強弱を示しながら最も妥当な解釈を選択(tarjih)する構造をとる。
  • 『Tarikh al-rusul wa'l-muluk』:預言者史からウマイヤ朝・アッバース朝までを年次記録として連続化し、戦役・地震・飢饉・統治交替などを併記する通史的金字塔である。

方法論:伝承批判と語学の統合

タバリーは出典とイスナードを明示し、同一主題の異伝を併置する。各伝承の信頼性・整合性・語法上の妥当性を比較し、語形論・統語論・詩文例証を援用して意味域を特定する。さらに、同語根の用例比較、部族語・方言差の考慮、法学的含意の整理を行い、解釈の層位(直義=タフスィールと意義解釈=タウィール)を区別して記述する。

歴史記述の特徴

タバリーの年代記は「年ごとの出来事」を基軸に、政治権力史・軍事史のみならず、災害・社会騒擾・学者の逝去など知的コミュニティの動態をも織り込む。地域面ではアラブ半島、イラク、シリア、イラン高原を骨格に、周辺諸勢力の動向を接続し、イスラーム世界を中心としつつも多地域的な視野を保つ。伝承の重層提示により、読者は相互照合から因果を再構成できる。

法学と神学をめぐる立場

タバリーは独立した法学的見解を保持し、法源(クルアーン・スンナ・コンセンサス・類推)を段階的に適用した。神学的には中庸を志向し、擬人化的解釈と過度な比喩化の双方を避け、言語・伝承に拠る穏健な注釈態度を採った。バグダードの論争的風土においても、彼は体系的著述を通じて立場を示し、感情的な党派対立から距離を取った。

資料学的価値と限界

タバリーの価値は、失われた先行史料・注釈の断片を大量に保存している点にある。とりわけ初期イスラーム史・タフスィール史の再構成は彼を通じて可能になる。他方で、異伝の併置は読者に選別を委ねる性格を持ち、地理・年代の細部で齟齬や矛盾を内包しうる。彼自身は選好(tarjih)を示すが、全域にわたり厳密な現代的実証批判を施したわけではないため、補助的に文献比較や碑文・貨幣資料など外部証拠の活用が必要である。

後世への影響

タバリーの注解は後代のタフスィール(例:詩学・文法に強い注釈、ハディース重視の注釈)に通底し、章句ごとの論点提示・異伝整理・語学的検証という作法を定着させた。年代記は後続の編年史・王朝史に長期的指針を与え、引用・要約・増補の基盤として受容された。彼の著作は学派を超えて参照され、近代以降の校訂事業とともに研究上の出発点としての地位を固めた。

関連概念の整理

タバリーの理解には、ハディース学(イスナード・リジャール)、アラビア語学(語根・語形論・異読)、注釈学(タフスィールとタウィールの峻別)、歴史編纂(編年体と王朝史)が不可欠である。これらの基礎素養を押さえることで、彼の叙述が単なる伝聞羅列ではなく、選別と統合の技法に立つ体系であることが見通せる。

学術的遺産の現代的意義

今日、タバリーは初期イスラーム知のアーカイヴィストにして編集者として評価される。彼の方法は、出典提示・用語精査・立場表明の三点を並走させる、透明性の高い学術実務である。テキスト批判・史料相互参照・語学的補助を重視する現代研究においても、彼の枠組みは依然として有効な手掛かりを提供する。