シン=フェイン党|アイルランド独立掲げる政党

シン=フェイン党

シン=フェイン党は、アイルランドの民族自決と全島の再統一を掲げる共和主義政党であり、北アイルランドとアイルランド共和国の双方で活動する政党である。英王室への忠誠を前提とする自治ではなく、アイルランド人自身による統治を理想とし、英国支配への抵抗運動のなかで成長した。かつてはアイルランド共和軍(IRA)と密接に結びつき武装闘争の政治的代弁者とみなされたが、次第に選挙と議会活動を重視する政党へと転換し、現在では左派の社会民主主義政党として福祉や平等政策を訴えつつ、平和的手段によるアイルランド統一を目指している。

成立の背景と初期の思想

強いアイルランド民族主義が高まったのは、ロンドンの自由党政権が自治を約束しながら実現を遅らせたことへの不満からである。とくに、首相アスキスのもとで提出されたアイルランド自治法が上院の反対で繰り返し頓挫したことは、議会政治への不信を生んだ。このとき下院優位を定めた議会法によって自治法成立の見通しが開けたものの、実施は戦争によって延期され、アイルランド側の期待は裏切られた。こうした状況のなかでジャーナリストのアーサー・グリフィスが「自国のことは自国で」という自己依存思想を掲げ、英議会への出席を拒否して独自の国民議会を構想する運動を始め、これがシン=フェイン党の前身となった。

第一次世界大戦と独立戦争

第1次世界大戦が始まると、自治の実施はさらに先送りされ、多くのアイルランド人は徴兵の危機に直面した。1916年のイースター蜂起は当初は少数派の挙兵にすぎなかったが、イギリス側が厳しい弾圧を行ったことで世論は反英感情を強め、蜂起に共感を寄せるようになった。戦後の総選挙では、穏健な自治派を押しのけてシン=フェイン党が圧勝し、ロンドンの議会をボイコットしてダブリンに独自の国民議会ドールを開いた。イギリス本国では首相ロイド=ジョージの政府が戦後改革として国民保険法など社会政策を進めていたが、アイルランドではまず主権の問題こそが重要であり、議会外の武装抵抗を含む独立戦争へと情勢は進んだ。

条約をめぐる分裂と南北アイルランド

1921年、英政府とアイルランド側指導者との交渉の結果、アイルランド自由国の成立を認める英愛条約が締結されると、シン=フェイン党内部で大きな分裂が生じた。条約は王冠への形式的忠誠や北アイルランドの分離を含んでおり、アイルランド全島の完全な共和国を目指す立場からは不十分とみなされたのである。条約賛成派は自由国政府へ参加し、のちの政党へと発展したのに対し、反対派は共和主義を掲げて抵抗を続け、アイルランド内戦へとつながった。この内戦の経験は、シン=フェイン党が国家権力と距離を置き、長く合法政治と武装抵抗の境界上に立つ運動として存続する背景となった。

北アイルランド紛争と組織再編

20世紀後半になると、北アイルランドにおけるカトリック系住民への差別や選挙制度の不平等をめぐって紛争が激化し、IRAと治安部隊の衝突が続いた。この時期、シン=フェイン党はIRAの政治部門とみなされ、選挙に参加しながらも武装闘争を擁護する立場をとったため、イギリスやアイルランド共和国では放送禁止措置を受けることもあった。しかし、長期化する暴力が双方に多大な犠牲をもたらすなかで、党内でも政治解決を模索する動きが強まり、指導者層は停戦と交渉へ傾いていった。この過程で、穏健派と強硬派の路線対立から組織分裂も生じたが、最終的には和平交渉を主導する政党へと性格を変えていく。

現代のシン=フェイン党とその位置づけ

1998年のベルファスト合意(聖金曜日協定)により北アイルランドの自治制度と権力分有が定められると、シン=フェイン党はストーモント議会に参加する主力政党の一つとなった。同時にアイルランド共和国でも選挙で支持を広げ、緊縮財政への反対や福祉の充実を訴える左派勢力として存在感を増している。イギリス本国には労働党独立労働党、知識人グループのフェビアン協会など社会民主主義を担ってきた政党・団体があるが、アイルランドにおいては民族問題と社会問題を結びつけて訴える点でシン=フェイン党が独自の役割を果たしている。今日の党は、国民投票による平和的な再統一、社会的不平等の是正、欧州連合との関係の再調整などを掲げ、武装闘争から選挙政治への長い転換の帰結として、主要政党の一つに位置づけられている。

党名の意味と象徴性

シン=フェイン党という名称はゲール語で「われら自身」を意味し、外部勢力への依存を拒み、自分たちの社会を自分たちで形づくるという自己決定の理念を象徴している。この短い言葉には、自治をめぐる折衝に翻弄されてきたアイルランドの歴史、社会改革を掲げた自由党政権の政策やそれに対する失望、さらには帝国議会政治を経由せずに自らの運命を決するという強い意志が込められている。この党名が現在まで受け継がれていること自体が、シン=フェイン党の歴史が単なる政党史を超えて、アイルランド人のアイデンティティと自己統治の象徴として理解されていることを示している。