サーンチー|石門と欄楯映える大ストゥーパ

サーンチー

サーンチーはインド中央部マディヤ・プラデーシュ州の丘陵上に展開する仏教遺跡群で、前3世紀にアショーカ王の事業に始まり、シュンガ朝・サータヴァーハナ期を通じて整備された。中心には半球体の大ドームと欄楯から成る大ストゥーパ(第1塔)があり、四方に立つ壮麗なトーラナ(門柱)には本生譚や巡礼、供養の場面が精緻に刻まれる。初期仏教のアニコニックな表現原理、商人や行団による寄進、ブラーフミー文字の銘文など、多様な要素が重なり合い、古代インドの宗教実践と視覚文化を知る第一級資料である。UNESCO世界遺産にも登録され、ストゥーパ建築の標準化と地域展開を考える基点となる。

位置と環境

サーンチーは州都ボーパール北東のライセン県に位置し、丘陵上の聖域に複数のストゥーパと僧院(ヴィハーラ)、祠堂(チャイティヤ)跡が点在する。河川交通と陸路の結節に近く、古代の都市網や交易路との接続が良好であったことが、寄進活動と宗教センターとしての発展を後押しした。

成立と歴史的背景

前3世紀、マウリヤ朝アショーカ王はカリンガ戦役後に仏教保護を強め、各地にストゥーパやダルマの理念を示す碑文を残した。カリンガ国での経験は王の政策転換に影響し、ダルマ(法・秩序・善行)の普及が図られた。サーンチーでも当初の小規模な墳丘が築かれ、後続王朝期に大規模な拡張が行われた。

大ストゥーパ(第1塔)の構成

第1塔は半球状のアンダ(本体)・方形のハルミカ(天蓋台)・多層のチャトラ(傘蓋)と、これを囲うヴェーディカー(欄楯)・周歩道から成る。参拝者は周歩しながら供養を行い、東西南北のトーラナから入る構成は宇宙秩序の四方位を象徴する。こうした形式はその後のインド全域のストゥーパ設計の基準となった。

トーラナとレリーフ表現

四基のトーラナには本生譚(ジャータカ)、仏陀の一生、巡礼や布施の場面、ヤクシー像、象・獅子・馬・気生樹などが高浮彫で展開する。初期段階では仏陀を人像で表さず、空位の玉座、菩提樹、法輪、足跡といった象徴で示すアニコニック表現が特徴的である。

銘文と寄進者ネットワーク

ブラーフミー文字の短銘には職能集団(シュレーニー)や個人名、出身地が記され、広域にまたがる信者・商人・工人の寄進ネットワークが可視化される。こうした銘文史料は、古代インドの経済・交通・宗教実践の連関を立証する上で重要である。

年代と様式の変遷

初期(マウリヤ末~シュンガ期)には素朴で力強い造形が多く、やがてサータヴァーハナ期に至ると梁やアーチの処理が洗練され、場面の連続性・叙述性が高まる。素材は砂岩を主とし、表面の磨きや彫りの深さに時期差が認められる。

宗教実践と空間運用

  • 周歩(プラダクシナ):欄楯内外の回廊を右繞し、功徳を積む。
  • 供養:花環・香・灯明の奉献、ストゥーパ前での読誦や布施。
  • 祭礼:季節儀礼や在俗信者の参詣が、僧院経済を支えた。

関連都市と政治権力

パータリプトラ(マウリヤの首都)など中枢都市の繁栄は、地方聖地への資源配分と巡礼流動を活性化した。王権と宗教は相互補完的で、法(ダルマ)の掲示や公共事業は支配の正統性を裏づけた。

石柱と記念建造物

近隣地域には獅子柱頭で知られる王朝期の記念建造物が分布し、石柱碑の伝統と視覚言語が共有される。こうした記念柱は法の掲示板であると同時に、空間の聖性と王権の可視化を担った。

他地域との比較視角

北西インドのガンダーラでは後に人像表現が定着するが、サーンチーはアニコニック期の成熟を示す典型例である。造形理念の差異は素材・交易・政治環境の違いと結びつき、インド美術の地域多様性を示す。

用語メモ

  • アンダ:ストゥーパ本体の半球体。
  • ハルミカ:傘蓋台となる方形区画。
  • チャトラ:多層の傘蓋。尊厳と軸線を示す。
  • ヴェーディカー:欄楯・周歩道の囲障。
  • トーラナ:四方の門柱。物語彫刻の舞台。

史料と研究

19世紀以降の調査・保全により、各期の積層や再利用の痕跡が整理された。銘文・様式・施工技術の総合分析が進み、寄進者層の社会史や物語主題の選択傾向、礼拝動線の設計思想など、学際的研究の土台を提供している。

サーンチーの意義

サーンチーは、仏教美術の語彙が成立・洗練してゆく過程を一地点で連続的に示す希有な遺跡である。王権イデオロギー、在俗信者の信仰実践、職能集団の寄進、交通と都市のネットワークが交差する複合的場として、古代南アジア世界のダイナミズムを今日に伝えている。