ゴール朝
ゴール朝は、12世紀後半から13世紀初頭にかけてアフガニスタン中部のゴール地方(現バーミヤーンとヘラートの中間域)を本拠とし、イラン高原東縁からヒンドゥスターン平原に至る広域を制したスンナ派イスラーム王朝である。ガズナ朝の衰退を突いて台頭し、ギヤースッディーン・ムハンマドとムハンマド・ゴーリーの兄弟支配の下で勢力を拡大、1192年の第2次タラーインの戦いで北インドの支配秩序を転換した。彼らが任じたマムルーク系の将軍たちは後にデリー・スルタン朝を樹立し、インドにおける持続的なイスラーム政権の出発点を画した。西方ではホラズム勢力の伸張に直面しつつも、山岳要塞網と騎兵戦術を活かして地域覇権を確立し、文化面ではペルシア語文芸とレンガ装飾の建築様式を保護した。
興起と地理的背景
ゴール朝の基盤はヒンドゥークシュ山脈の南北交通を結ぶ峠道とオアシスである。山地の砦(キラ)と谷間の隊商路支配が財政と軍事を支え、東のパンジャーブ、西のホラーサーン、南のシンド方面への遠征に機動性を与えた。ゴールの在地首長層は早くからイスラーム化し、周辺勢力との婚姻・同盟を重ねて自立性を高めた。
兄弟統治と行政体制
ギヤースッディーン・ムハンマドは西方(ホラーサーン・ヘラート)を、弟ムハンマド・ゴーリーは東方(ガズナ・パンジャーブ)を担当する分権的共同統治を敷いた。征服地では在来の地租・商税を再編し、軍功に応じた土地給与や徴税権委任(いわゆるイクター的性格を持つ)で騎兵を維持した。宮廷はペルシア語を公用文の中核に据え、法学・書記官僚を登用して遠隔地統治の文書行政を整備した。
ガズナ朝の打倒
12世紀末、ゴール朝は度重なる攻勢でガズナ朝の旧領を併呑した。ガズナは象兵を擁する平地戦に強みを持ったが、機動力で勝る軽騎兵と山岳からの連携打撃の前に屈し、ガズナ市も一時荒廃した。これによりパンジャーブへの出入口を確保し、インド遠征の前進基地が整備された。
タラーインと北インド秩序の転換
1192年、第2次タラーインの戦いでムハンマド・ゴーリーはラージプートの首長プリトヴィーラージ3世を破り、デルヒー周辺の要地を掌握した。この勝利は単なる戦術的成果にとどまらず、徴税・駐屯・連絡の三位一体運用を可能にし、恒久的駐留体制を開始させた。続いて拠点都市のカーヒル(砦)を鎖のように配置し、道路・河川輸送を押さえることで、収奪ではなく通年の歳入確保へと転じた。
マムルーク将軍とデリー・スルタン朝の成立
ゴール朝は信頼できるマムルーク将軍を各地に配し、その代表がクットゥブッディーン・アイバクである。主君ムハンマド・ゴーリーが1206年に暗殺されると、アイバクらはデリーを拠点に自立し、デリー・スルタン朝(いわゆる奴隷王朝)が始動した。これはインドの都市・農村・商業ネットワークにイスラーム政権が制度的に根を下ろす契機となり、以後のトルコ系・アフガン系王朝へ継承される。
文化後援と建築
宮廷はペルシア語詩文を保護し、史書・年代記の編纂が進んだ。建築ではレンガ積みと幾何学・クーフィー体文様の装飾が発展し、アフガニスタンのジャームに建つ高層ミナレットは当時の技術水準と審美を示す記念碑である。インド側ではモスク・ミナール建設が始まり、石材とレンガ、在来様式との交渉が見られた。
経済・交通と貨幣
隊商税と関税が歳入の柱で、ヒンドゥークシュ越えの連絡路を押さえることで東西交易の中継利益を享受した。パンジャーブの穀倉地帯は兵站の要であり、都市市場では金貨ディナール・銀貨ディルハムに加え地域通貨が併用された。鑄造銘文は支配者の正統性を示す媒体として機能し、宗教的称号とカリフ名が併記されることもあった。
軍事編制と戦術
- 山岳拠点間の迅速な伝令と夜間行軍を重視
- 軽騎兵の弓射・擬退による敵隊の分断と包囲
- 象兵に対しては機動射撃と地形選択で対抗
- 砦・前哨の帯状配置により補給線を保護
宗教政策
基本はスンナ派であるが、征服地の多様性に配慮し、ジズヤや保護民制度を通じて非ムスリム住民との折衝を制度化した。法学派の判事(カーディー)を任命して裁判を運用し、ワクフの整備が宗教施設の維持を支えた。
衰退と崩壊
1203年のギヤースッディーン没後、1206年にムハンマド・ゴーリーが没し指導核を失うと、西方からホラズム勢力が浸透し、1215年頃までにヘラート・ゴール本域は圧迫を受けた。各地の総督は自立化し、インド側ではデリー政権が継承権を主張、アフガニスタン側では地方政体が分立してゴール朝本体は消滅へ向かった。
歴史的意義
ゴール朝の意義は、征服王朝としての短命性にとどまらず、持続的な都市統治・徴税・軍政の枠組みを北インドに移植した点にある。これによりペルシア語行政文化が恒常化し、宗教建築・碑文・貨幣における表象体系が定着した。さらに山岳国家の機動力と平原支配の制度化を結合させた統治モデルは、後続のスルタン朝やムガル帝国の形成環境にまで影響を及ぼした。
主要人物・年表(簡略)
- 1149年頃:ゴール在地勢力の伸長が顕著化
- 1186年:ガズナ朝終焉、パンジャーブ掌握
- 1192年:第2次タラーインの戦いで決定的勝利
- 1203年:ギヤースッディーン没
- 1206年:ムハンマド・ゴーリー没、デリー側自立
- 1215年頃:本域の政治的崩壊