ゲルフ|教皇権を支えた中部イタリア諸都市

ゲルフ

ゲルフは、中世イタリアの都市国家で教皇の権威を支持した政治勢力であり、しばしば皇帝派のギベリンと対立した勢力を指す。名称はドイツの有力貴族ヴェルフ(Welf)家に由来するとされ、ドイツ王権・帝権と結びつくギベリン(語源はシュタウフェン家の拠点Waiblingen)と対をなして語られることが多い。12~14世紀の都市政治において、商人・銀行業・手工業のネットワークを背景に台頭し、フィレンツェ、ボローニャ、ルッカなどで強い影響力を持った。彼らの主張は単なる宗派対立ではなく、自治都市の法秩序・同業組合(アルティ)・金融資本の利害と密接に結びつき、都市統治の制度設計や国際関係にも波及した。

名称と起源

名称の起点はドイツのWelf(ヴェルフ)家とされるが、イタリアにおけるゲルフの政治的実体は、必ずしもドイツ貴族の直系支配ではなく、教皇庁との協働による都市共同体の自立志向を反映した運動である。叙任権闘争後、教皇権がイタリア政策を推し進めるなか、都市エリートは商業・金融の自由と通商の安定を求め、帝国の介入を退ける旗印として「教皇支持」を掲げた。したがってゲルフは、観念的には宗教権威の支持であっても、現実には都市の自治と利害の結節点として理解されるべきである。

イタリア都市における展開

イタリアのコムーネ(自治都市)では、市参事会や執政官制度の下、商人層が主導的役割を担った。フィレンツェでは銀行業が繁栄し、対抗するギベリン(皇帝派)との抗争が断続的に発生した。シエナやピサのように、地政学や同盟関係によって勢力図が揺れ動く地域も多く、都市同士の戦争はしばしば同盟網を通じて半島全体に拡大した。ボローニャのような大学都市では法学・教会法の権威が都市政治を補強し、教皇支持の理論的裏付けが形成された。

社会基盤と経済的背景

ゲルフの基盤は、毛織物業、遠隔地貿易、国際為替手形に支えられた商人・銀行家層であった。彼らは関税の安定、街道や港湾の安全、信用秩序の維持を重視し、都市法・商事慣習の整備を推進した。行商人や職人ギルド(アルティ・ミノーリ)も、帝国の軍事的介入より都市自治の継続を望む傾向が強く、結果としてゲルフ陣営に幅広い支持が集まった。こうした経済的利害は共同体の軍備や傭兵雇用、同盟締結の費用を支える財政基盤にもなった。

主要事件と人物

13世紀には、シュタウフェン朝(皇帝派)との抗争が激化し、都市間戦争が相次いだ。アンジュー伯シャルルの介入は教皇側の軍事的テコとなり、対立を地中海規模に押し広げた。代表的な戦いや転換点を挙げると以下の通りである。

  • 1260年モンタペルティの戦い:シエナ側(ギベリン)勝利でフィレンツェゲルフが一時的に失勢
  • 1266年ベネヴェントの戦い:アンジュー軍がマンフレーディを破り、教皇側の優位を回復
  • 1289年カンパルディーノの戦い:フィレンツェゲルフが軍事的主導権を奪回

内部対立:白党と黒党

フィレンツェではゲルフ内部が「白(ビアンキ)」と「黒(ネーリ)」に分裂した。白は過度な教皇介入を警戒し、都市の自律を優先する傾向があり、黒はより一貫した教皇支援を唱えた。この分裂は党派抗争を長期化させ、亡命・財産没収・政権交代が頻発した。ダンテの追放は象徴的事例で、文化史にも影響を与えた。内部分裂はゲルフの理念的多層性と、都市政治の現実的妥協の困難さを露呈した。

制度形成への影響

ゲルフの優勢期には、選挙・抽選・任期制を組み合わせた執政体制、ギルド加入を政治参加の条件とする制度、反対派の権利制限などが整備された。これらはコムーネの政治文化を形づくり、後のシニョーリア体制や領主制への移行に際しても制度的遺産として残った。都市法の成文化や公正証書、差押え・担保制度の発達は、商業裁判の迅速化と国際信用の拡大に寄与した。

衰退と変容

14世紀になると、教皇のアヴィニョン移住や大シスマ、傭兵隊の横行、黒死病による人口激減などが重なり、都市の党派政治は新たな均衡を模索した。銀行破綻や農村反乱も党派の力学を揺るがし、外部からの僭主(シニョーリ)や大領主に権力が集中する局面が増える。結果としてゲルフ対ギベリンという二項対立は次第に色あせ、地域ごとの権力構造と国際関係の再編に吸収されていった。

語源と「ヴェルフ家」

語源面ではWelf(ヴェルフ)家の名がイタリア語のGuelfo/Guelfiとなり、都市党派の名称として定着した。もっとも、イタリアのゲルフはドイツ貴族の私的家政ではなく、教皇との政治的同盟に立脚した都市共同体の運動である点に注意が必要である。

地理的広がりと同盟網

ゲルフ同盟はトスカーナを中心に、ロンバルディアや中部イタリアへと広がり、都市間の相互防衛条約・通商協定によって補強された。陸上交通の結節点や港湾都市では海陸のネットワークが党派の力学を左右し、同盟の再編が頻繁に行われた。これらの流動性が、イタリア都市のダイナミズムと長期的な制度革新の背景となった。