クーリッジ|小さな政府を掲げた保守派大統領

クーリッジ

クーリッジは、1923年から1929年まで在任したアメリカ合衆国第30代大統領であり、「静かなカリスマ」とも呼ばれる保守的指導者である。副大統領としてハーディング政権に参加し、大統領の急死を受けて昇格したのち、1924年選挙で正式に選出された。小さな政府と企業活動の自由を重んじる政策を掲げ、「繁栄の20年代」と呼ばれる好況期の象徴的存在となった一方、その放任的な経済運営が後の世界恐慌との関連で議論の対象ともなっている。

生い立ちと政治への歩み

クーリッジは1872年、バーモント州の農村に生まれた。地方の小規模な学校で学んだのち法律家となり、マサチューセッツ州ノーサンプトンで弁護士として活動した。やがて市議会議員、市長、州議会議員、副知事、知事へと着実に昇進し、地道な演説活動と質素な生活態度によって、信頼される保守派政治家としての評価を築き上げた。

  • ノーサンプトン市長としての行政経験
  • マサチューセッツ州上院議長を経た州知事就任
  • 党内保守派の有力者としての台頭

マサチューセッツ州知事とボストン警察ストライキ

1919年、ボストン市警察の組合結成とストライキをめぐり、治安維持を重視するクーリッジは州兵を動員して秩序回復を図った。彼は「公共の安全に対してストは許されない」との立場を明確にし、警察官の大量解雇という強硬策をとった。この対応は労働運動側から激しく批判されたが、法と秩序を守る指導者として全国的な注目を集め、のちに副大統領候補に指名される大きな契機となった。

副大統領から大統領へ

1920年選挙でクーリッジは共和党の副大統領候補となり、ハーディングとともに当選した。しかしハーディング政権は在任中に汚職事件が相次ぎ、1923年に大統領が急死すると、副大統領であったクーリッジが憲法に従い大統領に就任した。彼は前任者の不祥事から距離を置き、簡潔な演説と寡黙なスタイルで清廉さをアピールし、1924年には選挙で正式に大統領に選ばれた。

経済政策と「繁栄の20年代」

クーリッジ政権の特色は、小さな政府と減税を軸とする保守的経済政策であった。財務長官のメロンと協力し、高所得層や企業の税率を引き下げ、政府支出を抑制して国債償還を進めた。関税を高水準に維持して国内産業を保護し、金融や産業への政府介入を最小限にとどめたため、企業は自動車、電気機器、化学工業などの分野で急成長した。この時代には電力網の拡大により、家庭や工場で電圧の単位であるボルトという言葉が身近になるほど電化が進み、大量生産・大量消費の社会が形成された。

一方で、株式市場や不動産への投機熱も高まり、金融監督の弱さが後の市場崩壊につながったと評価されることが多い。こうした議論は、ヨーロッパ思想史におけるニーチェのニヒリズムや、実存主義者サルトルの人間理解などと対比されながら、20世紀初頭の資本主義社会のあり方を考える際の重要な論点となっている。ここで再びボルトという技術的概念が象徴する産業文明の力と、ニーチェサルトルが問う内面的危機が並置されることもある。

外交政策と国際関係

クーリッジは、国際連盟への正式加盟を望まないアメリカ世論を背景に、全般として国際政治への関与を抑制する姿勢をとった。欧州に対しては、第一次世界大戦後の賠償問題を調整するドーズ案の実施を支持し、戦債返済と金融安定を重視した。海軍軍縮の枠組みを維持しつつ、ラテンアメリカ諸国には経済的影響力と軍事的圧力を組み合わせる「ドル外交」を継承したが、大規模な戦争には巻き込まれないよう慎重に行動した。

社会政策・移民政策と農業問題

国内社会においてクーリッジは、急速な都市化と移民増加に対する不安に応える形で、1924年の移民法に署名し、出身国別の割当制によって新規移民を大幅に制限した。また、1924年インディアン市民権法を支持し、先住民にアメリカ市民権を付与する法的枠組みを整えたが、貧困や差別の解消にはなお不十分であった。農業分野では、穀物価格の下落に苦しむ農民への恒常的救済策に慎重で、農産物価格支持をめざす法案に拒否権を行使したため、農村部の不満を招いた。

評価と歴史的意義

繁栄と不安定さを併せ持つ保守政権

クーリッジの歴史的評価は、時代とともに変化してきた。彼は汚職の影を引きずったハーディング政権の後を受け、規律ある財政運営と簡素な私生活を通じて、大統領職への信頼を回復した保守的指導者として評価される。一方で、監督のゆるい金融環境と所得格差の拡大を放置したことが、1929年の世界恐慌を招く土壌をつくったと批判する見解も根強い。アメリカ政治史の中でクーリッジは、資本主義の活力と不安定さが交錯する戦間期の典型的な保守大統領として位置づけられ、その意味を検討する際には、同時期のヨーロッパ思想を代表するニーチェサルトルの議論を参照しながら、近代社会の価値観と構造を多面的に捉える必要があるとされる。