ガンディー
ガンディー(モーハンダース・カラムチャンド・ガンディー)は、19世紀末から20世紀前半にかけて活動したインド独立運動の指導者であり、「マハトマ(偉大な魂)」と呼ばれた人物である。彼はイギリス帝国支配下のインドにおいて、非暴力と不服従を武器とする独自の抵抗運動を展開し、民族運動の在り方や近代政治思想に大きな影響を与えた。宗教的敬虔さと道徳的実践を重んじたその生き方は、政治家でありながら同時に倫理的・精神的指導者としても理解されている。
生い立ちと青年期
ガンディーは1869年、インド西部グジャラート地方の港町ポールバンダルに生まれた。家系は商人カーストに属し、父は藩王国の行政官として働いていた。幼少期からヒンドゥー教的な敬虔さに加え、ジャイナ教の影響を受け、菜食や不殺生の価値観に親しんだとされる。青年期になると、家族の期待を背負ってロンドンへ留学し、イギリスで法学を学んだ。この経験によって、彼は近代的な法制度や議会政治、さらにはキリスト教思想や西洋哲学にも触れた。後年、彼が西洋近代思想とインド伝統思想を折衷しながら独自の倫理観を形成していく背景には、この留学経験が大きく関わっている。
南アフリカでの活動とサティヤーグラハ
ロンドンでの学業を終えたガンディーは、弁護士としての職を求めて南アフリカに渡る。そこで彼は、イギリス帝国の支配下におかれたインド人移民が、差別的法律や暴力にさらされている現実を目の当たりにした。鉄道の車両から理不尽に追い出された経験は象徴的なエピソードとして知られる。南アフリカで彼が生み出したのが、「真理への把持」を意味するサティヤーグラハという非暴力抵抗の方法である。これは暴力によって敵を打ち倒すのではなく、自ら進んで苦難を引き受けることで相手の良心に訴え、圧政を変革しようとする実践であり、後のインド独立運動にも受け継がれていく。
インド民族運動の指導者として
第一次世界大戦後、インドに帰国したガンディーは、インド国民会議派の中心人物となり、農民・都市中間層・商人など広範な層を動員して反英運動を指導した。彼は、イギリス製品のボイコットや国産品奨励(スワデーシー)を呼びかけ、自らも糸車を回して手紡ぎ布をまとい、質素な生活を実践した。非協力運動や非暴力不服従運動、塩の行進など、一連の運動はインド各地で大きな共感を呼び、植民地支配への抵抗を大衆的なものへと変えていった。この過程で、彼は宗教や言語の違いをこえた「インド人」としての一体感を強調しようと努めた。
宗教観・倫理観と非暴力思想
ガンディーの思想の中心には、アヒンサー(不殺生)とサティヤ(真理)を重んじる宗教的・倫理的観念があった。暴力を用いて一時的に勝利しても、それは新たな憎しみと支配を生むだけであり、真の解放にはつながらないと考えたのである。彼は、断食や祈りを政治闘争の中にも取り入れ、自身の内面的修養を通じて運動全体を律しようとした。このような姿勢は、西洋近代思想の文脈における個人主義や実存を論じたニーチェやサルトルとは異なるが、人格の一貫性を重視するという点で比較されることもある。非暴力は弱者の消極的態度ではなく、恐怖を克服した者だけが実践しうる積極的な勇気だと彼は主張した。
ヒンドゥー・ムスリム関係と独立交渉
インド独立運動において大きな課題となったのが、ヒンドゥー教徒とムスリムの関係である。ガンディーは、両者が協力して植民地支配に立ち向かうべきだと考え、互いの宗教的伝統を尊重する姿勢を示した。しかし、政治的利害と不信感は容易に解消されず、イスラーム側指導者や後のパキスタン創設を主張する勢力との対立も深まっていく。イギリスとの交渉が進む中で、インドの分割独立という構想が現実味を帯びると、彼は分割に強く反対したが、最終的にインドとパキスタンの分離独立を止めることはできなかった。
独立達成と暗殺
1947年、長年にわたる運動の結果、インドはついにイギリスからの独立を達成した。しかし、分割独立とそれに伴う宗教対立によって、多くの難民と犠牲者が生まれた。ガンディーは各地を巡って暴力の停止と和解を訴え、断食によってヒンドゥー教徒とムスリム双方に自制を求めたが、その姿勢は一部の急進的なヒンドゥー・ナショナリストの反発を招いた。1948年、彼はニューデリーで祈りの集会に向かう途中、ヒンドゥー教徒の青年によって暗殺され、その生涯を閉じた。その死は国内外に大きな衝撃を与え、彼の非暴力思想はむしろ殉教的な意味を帯びて記憶されることになった。
世界史における意義と評価
ガンディーの活動は、単にインドの独立に貢献しただけでなく、20世紀世界史における政治運動のスタイルそのものを変えたと評価される。彼の非暴力抵抗は、後にアメリカの公民権運動や各地の民主化運動にも影響を与えた。宗教的倫理と政治実践を結びつけようとする姿勢は、近代国家の枠組みに対する批判としても読むことができ、実存や自由をめぐる議論を展開したサルトルのような思想家と対照的な位置づけで語られることも多い。植民地支配・民族自決・宗教共存といった問題が続く現代において、彼の思想と実践はなお多くの論争と再解釈の対象であり続けている。