カイロ
カイロはエジプト北部、ナイル川の中流域に広がる同国最大の都市で、アラビア語名は「al-Qahira(勝利の都)」である。古代以来の交通結節点としてデルタと上エジプトを結び、イスラーム世界の学術・宗教・商業の中心として発展した。641年にフスタートが建設され、969年にファーティマ朝が新都を築いて近代に至る都市核が形成された。スルタン、ウラマー、商人、職人が集住し、「千の尖塔の都」の異名どおり、モスクとマドラサ、スークが織りなす都市景観が特徴である。
地理と都市構造
カイロはナイル川右岸を中心に旧市街、近代市街、新開発地の同心円的拡張を示す。旧市街は城壁内外にモスク、ハンマーム、キャラバンサライが密集し、近代以降はタフリール広場を中心に行政・商業機能が配置された。衛星都市として「6th of October City」やナスル・シティが整備され、環状道路とメトロ網が都市圏を束ねる。
成立とファーティマ朝
969年、シーア派のファーティマ朝が将軍ジャウハルに命じて新都「al-Qahira」を築いた。アズハル・モスクの創建(972年頃)は神学と法学の権威形成に直結し、後のアズハル大学へ発展する。宮廷儀礼、シーア派祭礼、交易統制が都市運営の核心で、北アフリカと紅海航路を結ぶ商人が集まり、都市経済を牽引した。
アイユーブ朝とマムルーク朝
サラーフッディーン(サラディン)は12世紀末に政権を確立し、要塞(シタデル)を築いて行政と軍事の中心を移した。続くマムルーク朝は紅海・地中海交易と香辛料中継で繁栄し、石造ミナレットと複合宗教施設(モスク+マドラサ+病院)の壮麗な建築群を残した。イブン・ハルドゥーンら知識人も活動し、学問都市としての地位を強固にした。
オスマン帝国期と近代化
1517年、セリム1世によりエジプトはオスマン帝国の一州となり、総督府を通じて地中海経済に組み込まれた。19世紀、ムハンマド・アリー家は徴兵制、綿花栽培、工業育成を推し進め、都市改造でヨーロッパ風街路と官庁街を整備した。1869年のスエズ運河開通は世界航路の要衝としてカイロの国際的地位を飛躍的に高めた。
イギリス支配から独立、共和国時代
1882年の英軍進駐後、カイロは植民地的近代化の舞台となり、1922年のエジプト王国独立を経て、1952年の革命で共和制へ移行した。ナセル政権下でアスワン・ハイ・ダム建設や国有化が進み、農村からの人口流入が加速して巨大都市圏を形成した。ナイル東西両岸の拡張、橋梁・高架化は現在の交通骨格を成す。
宗教・教育・文化
カイロはスンナ派学術の最高峰アズハル大学を擁し、法学四学派の伝統が受け継がれる。他方でコプト教会の聖堂群が残る「オールド・カイロ」は多層的信仰空間を示す。書道、微細幾何文様、木象嵌、銅器打出しなど職人文化が発達し、映画・音楽産業の中心地としてアラブ大衆文化を牽引した。
経済構造と社会問題
首都機能、金融、観光、メディアが集積し、エジプトのGDPに大きく寄与する。だが急速な都市化は住宅不足、交通渋滞、越境的通勤、環境負荷を招いた。インフォーマル居住地の整備、廃棄物管理、公共交通の拡充は長期課題である。メトロ延伸やBRT導入は混雑緩和策として進められている。
歴史的景観と観光
イスラーム地区の城門、ハーン・ハリーリのスーク、ムハンマド・アリー・モスク、マムルーク期の複合建築群は見どころである。市内のエジプト考古学博物館は古王国からローマ時代に至る膨大な遺物を収蔵し、ギーザのピラミッド群(市域西方)と併せて世界的観光拠点を形成する。史跡は都市拡張と共存しつつ保存政策が進む。
都市計画と新行政首都
21世紀に入り、政府は新行政首都の建設や衛星都市の再編で機能分散を図る。官庁移転、スマートグリッド、広幅員道路の整備は中心部の過密緩和を狙う一方、歴史地区の歩行者空間化やファサード修景で観光価値の向上を目指す。都市間鉄道や物流ターミナルの再編は、紅海・地中海を結ぶ結節点としての役割を補強する。
都市生活のリズム
スークの呼び声、礼拝のアザーン、夜更けまで続く喫茶と音楽――日常は多様なリズムで満たされる。ラマダーン期の夜間賑わい、宗教祭礼、結婚行列などの社会儀礼は公共空間を生かし、近代的商業施設や大学キャンパスと重層的に共存する。こうした生活文化がカイロの都市アイデンティティを形作っている。
用語と名称
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アラビア語名:al-Qahira(القااهرة)/通称:Cairo
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旧市街:イスラーム地区、コプト地区、フスタート周辺
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主要施設:アズハル・モスク、シタデル、エジプト考古学博物館、ハーン・ハリーリ
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主要時代:ファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝、オスマン帝国期、近現代
総括
カイロは、地理的結節性と王朝交替の歴史が織りなす巨大都市であり、宗教・学術・商業の各機能を束ねて広域世界を牽引してきた。古層の都市資産と現代のメガシティ課題を併せ持ち、保存と再開発の両立が常に問われる。ナイルの恵みと人々の営為が交差するこの都市は、今後も地域秩序と文化創造の中心として変容を続けるであろう。