インドネシア
インドネシアは、東南アジアからオセアニアにまたがる世界最大級の群島国家であり、ジャワ島・スマトラ島・スラウェシ島・カリマンタン島(ボルネオ島の一部)・ニューギニア島西部など、多様な島々から構成される国家である。古代にはインドや中国、イスラーム世界との交易によって文明を発展させ、近世以降は香辛料貿易をめぐってヨーロッパ勢力に支配され、近代にはオランダ領東インドとして植民地化された。第二次世界大戦中の日本軍占領を経て独立運動が高揚し、戦後に独立国家インドネシア共和国が成立した。多民族・多宗教社会でありながら「ビナ・イクタ・トゥンガル(多様性の中の統一)」を掲げ、政治・経済・文化の各面で地域を代表する大国となっている。
地理的特徴と多民族社会
インドネシアは赤道付近に位置し、熱帯モンスーン気候のもとで高温多湿の環境と豊かな降水量に恵まれている。島々は古くから「海の道」で結ばれ、インド洋と太平洋を結ぶ要衝として、香辛料や米、樹脂、木材などを運ぶ海上交易の舞台となった。人口の多くはジャワ島に集中し、ジャワ人・スンダ人・マドゥラ人など多数の民族が居住しているが、スマトラやスラウェシ、カリマンタン、パプアなど各地域にも独自の言語と文化を持つ集団が分布する。公用語はインドネシア語であるが、日常生活では各地方語も広く使用される。
インド化とイスラーム化の歴史
古代から中世にかけて、現在のインドネシア地域にはシュリーヴィジャヤ王国やマジャパヒト王国など、インドのヒンドゥー教・仏教文化の影響を受けた王国が栄えた。これらの王国は、海上交易を通じてインド洋世界と結びつき、サンスクリット語の碑文やヒンドゥー・仏教寺院を残した。その後、イスラーム商人の活動が活発になると、スマトラ北部のパサイ王国を皮切りに、イスラーム教が港市を中心に広まり、やがてジャワ島やマレー世界全体へ浸透した。この過程で、イスラームは既存の慣習や信仰と融合し、地方ごとに多様な形態をとることになった。
ヨーロッパ勢力の進出とオランダ植民地支配
15〜16世紀になると、ポルトガル人がモルッカ諸島などに到達し、香辛料貿易を支配しようとした。これに対抗してオランダは東インド会社(VOC)を設立し、ジャワ島西部のバタヴィア(現在のジャカルタ)を拠点に勢力を拡大した。17〜18世紀にかけてVOCは香辛料の独占をめざして各地の王国と戦争や条約を重ね、港市や農村の支配を強めた。19世紀にはVOCが解散し、オランダ本国による植民地統治が進められ、強制栽培制度などによりコーヒー・サトウキビ・キニーネなどの輸出作物生産が農民に課された。これによってオランダは莫大な利益を得たが、現地社会には貧困と負担が蓄積した。
民族意識の形成と独立運動
19世紀末から20世紀初頭にかけて、教育を受けた知識人や都市中間層を中心に、民族意識が芽生え始めた。青年団体やイスラーム団体、政党が結成され、「インドネシア人」としての共通のアイデンティティが語られるようになった。1928年の「青年の誓い」では、ひとつの祖国・ひとつの民族・ひとつの言語を掲げる宣言が出され、のちの国家統合の象徴となった。このような運動は、オランダ植民地支配に対する批判と抵抗を土台としつつ、近代的な国民国家建設を構想する動きでもあった。
日本軍占領と独立宣言
第二次世界大戦中、1942年に日本軍がオランダ領東インドを占領すると、インドネシアの政治状況は大きく変化した。日本軍は資源供出と労働動員を進める一方で、対英米戦争に協力させるために民族指導者を利用し、軍事組織や青年組織の育成を認めた。スカルノやハッタら民族主義指導者はこの機会を利用して大衆動員を進め、戦後の独立を見据えた準備を進めた。日本の敗戦直後の1945年8月、スカルノとハッタはインドネシア独立宣言を行い、共和国の成立を世界に訴えたが、オランダは植民地支配の回復を試み、独立戦争が勃発した。
独立の達成とスカルノ・スハルト体制
独立戦争は国際的な仲介も受けつつ続き、1949年にオランダが主権移譲を承認したことで、インドネシアは正式な独立国家として承認された。初代大統領スカルノは「指導された民主主義」を掲げ、反植民地主義や非同盟主義の立場からアジア・アフリカ諸国の連帯を訴えたが、国内政治は不安定化し、軍と共産党の対立が激化した。1965年のクーデター未遂事件を機に、スハルト将軍が台頭し、「新秩序」体制を築いて長期政権を維持した。この体制は反共主義を掲げ、外資導入や開発優先の経済政策を推進したが、同時に政治的抑圧も強かった。
現代インドネシアの政治と経済
1997年のアジア通貨危機を経てスハルト政権が崩壊すると、インドネシアは民主化と地方分権化の道を歩み始めた。大統領の直接選挙制が導入され、政党間競争が展開されるなかで、軍の政治的影響力は徐々に後退した。経済面では、石油・天然ガスや石炭、パーム油といった資源に加え、製造業やサービス業も伸長し、東南アジア有数の経済規模を持つ国となっている。一方で、格差や汚職、環境破壊、宗教・民族間の緊張など、克服すべき課題も多く存在する。
宗教・文化の多様性
インドネシアは人口の多数がイスラーム教徒であるが、国家理念パンチャシラのもとで宗教的多様性を認めている。バリ島にはヒンドゥー教徒が多く、カリマンタンやスラウェシ、東部地域にはキリスト教徒や土着信仰を守る人々もいる。文化面では、バティックやイカットなどの染織、影絵芝居ワヤンやガムラン音楽、各地の舞踊や建築様式など、多彩な表現が発達してきた。これらは、インド・中国・イスラーム世界・ヨーロッパなど、さまざまな地域との長い交流の歴史を反映しており、現代のインドネシア社会のアイデンティティを形づくる重要な要素となっている。