インドの言語|語族・文字・公用語政策の全体像

インドの言語

南アジアに位置するインドは、地理・民族・宗教・歴史の層が複雑に重なり合う多言語国家である。日常会話から行政・司法、文学・映画、ITまで、場面ごとに言語が使い分けられるのが特色で、個人が複数言語を機能的に運用する。憲法付表(Eighth Schedule)には主要言語が22挙げられ、連邦レベルではヒンディー語(デーヴァナーガリー表記)と英語が広く用いられる。一方で州は独自の公用語を定め、教育・放送・文化政策と連動させる。こうした実態を総称してインドの言語というとき、単一の言語ではなく多様な体系と社会的慣行の集合を指すのである。

言語系統と地理的分布

インドの言語は系統的に見れば大きく四つの柱がある。第一がインド・ヨーロッパ語族のインド・アーリア語群で、北・中部に広がる。第二がドラヴィダ語族で、主に南部を中心とし古くから文学伝統を育んできた。第三がムンダ語族で、東部・中部の部族社会に根を持つ。第四がチベット・ビルマ語派で、ヒマラヤ周辺から北東インドにかけて分布する。ほかにアンダマン諸語など小規模ながら独自の系統を保つ言語もある。

  • インド・アーリア語群:ヒンディー、ベンガル、マラーティー、グジャラート、パンジャーブ、オディア、アッサム、ウルドゥー など
  • ドラヴィダ語族:タミル、テルグ、カンナダ、マラヤーラム など
  • ムンダ語族:サンタル、ムンダリ、ホー など
  • チベット・ビルマ語派:マニプリ(メイテイ)、ボド、ナガ諸語 など

憲法・公用語・行政

連邦レベルではヒンディー語(デーヴァナーガリー)と英語が行政や議会文書に用いられる。州は歴史と言語共同体に基づく区画が多く、州憲章と教育制度は地域言語の維持・普及を担う。憲法付表に列挙された22言語は、国家試験・通貨・郵便・放送など公的領域での可視性を高め、文化資源の保護対象にもなっている。

三言語方式と教育

学校教育では「three-language formula」が広く採用され、地域言語・ヒンディーまたは他地域言語・英語の三本柱で識字と機能的多言語能力を育成する。実施の細部は州差が大きく、言語ナショナリズムや移民の流入により科目の選択や配分がしばしば政治課題となる。

文字・表記体系

インドの表記は、アブギダ(音節的アルファベット)を基礎とする諸文字が主流である。デーヴァナーガリー、ベンガル、グジャラート、グルムキー、オディア、カンナダ、テルグ、タミル、マラヤーラムなどが並立し、ウルドゥーはアラビア系のナスタアリーク体を用いる。デジタルでは Unicode による標準化が進み、多言語フォントや入力方式の整備が出版・教育・行政の電子化を支えている。

  • デーヴァナーガリー:ヒンディー、マラーティー、ネパール語など
  • タミル文字:タミルの長い文献伝統を担う
  • グルムキー:パンジャーブ(シク教文献の表記)
  • ナスタアリーク:ウルドゥーの美麗な筆写体

歴史層:サンスクリットから現代語へ

古代のサンスクリットは学術・儀礼の言語として全域に影響を及ぼし、プラクリットやアーパブランシャを経て近代諸語の語彙・文法に痕跡を残した。中世にはペルシア語・アラビア語が宮廷・法廷で重んじられ、近代には英語が高等教育・司法・科学技術の媒体となる。語彙は重層的に混交し、同義語が異なる由来をもつ現象が一般的である。

文学とメディア

タミル、ベンガル、ヒンディー、ウルドゥーなど各言語は独自の文学史を築き、叙事詩・宗教文学・近代小説が豊富である。映画と音楽は言語圏ごとに産業圏を形成し、「Bollywood」「Kollywood」「Tollywood」などが世界的に知られる。放送・配信は字幕や吹替で相互接触を促進し、作品と言語の越境消費が進む。

社会と言語運用

都市部では家庭言語・地域言語・英語を状況に応じて切り替えるコードスイッチングが日常的である。ヒンディーとウルドゥーは語彙選択や文字体系に差異を持ちながら口語では高い相互理解性を示し、英語との混交形「Hinglish」も広まる。宗教儀礼や法廷、行政文書では語彙レジスターの選択が権威・中立性・包摂性に関わる。

  • 家庭・地域:親族内の親密なレジスター
  • 教育・就業:標準語と英語の併用
  • 行政・司法:公定言語の厳格な様式

文法的特徴の概観

多くの言語で語順は概ね SOV、後置詞・格標示・豊かな屈折を備える。レトロフレックス子音の対立はインド・アーリア系とドラヴィダ系に広く共有される一方、ドラヴィダ語族は膠着的な語形成と丁寧体体系が発達し、チベット・ビルマ系には声調や接頭接尾辞の組合せが見られる。共通性と多様性が同時に観察される領域である。

北東インドと少数言語

北東インドは言語学的ホットスポットで、メイテイ(マニプリ)やボドをはじめ小規模言語が密集する。道路・教育・メディアへのアクセス格差は言語維持に影響し、二言語教育やコミュニティ主体の文書化、正書法標準化が重要となる。観光・移住の拡大は言語接触を加速し、相互理解のための橋渡し言語としてヒンディーや英語の役割も増している。

デジタル時代と標準化

スマートフォンの普及により、音声入力・機械翻訳・文字認識が地域言語の利用を後押しする。Unicode による文字符号化、IMEの改善、音声合成や自動字幕の精度向上は、教育・行政サービスの多言語化を進める基盤である。同時に、用語統一・正書法のばらつき・方言差の扱い、希少言語のコーパス不足といった課題が残る。言語は文化資本であり、包摂的政策と技術整備の両輪が、インドの言語の未来を支えるのである。