イスラームの西方征服|北アフリカからイベリアへ拡大

イスラームの西方征服

イスラームの西方征服とは、7世紀半ばから8世紀にかけて、初期イスラーム国家がエジプトからマグリブ、さらにイベリア半島へと版図と信仰圏を広げた一連の軍事・政治・社会的変容を指す。正統カリフ期とウマイヤ朝の行動が中核であり、征服は単なる武力進出ではなく、行政・税制・都市形成・宗教実践の再編と連動して進んだ。結果としてMediterraneanの勢力均衡は大きく変化し、Maghribとal-AndalusにIslamの制度と文化が根づき、のちのヨーロッパ・イスラーム世界相互の交流と境界線を形づくった。

背景と動因

背景には、アラビア半島の部族連合を国家へ束ねた統率と、ビザンツ帝国・ササン朝の長期戦争で疲弊した地中海東部の脆弱化があった。正統カリフ期の動員体制と徴税枠組み(ジズヤ・ハラージ)は、征服後の統治にも流用され、移動力と補給能力の優れた騎兵と機動戦術が地形適応の鍵となった。征服は「聖戦」概念だけで説明できず、交易路の掌握、港湾・オアシスの連結、在地有力者との合意形成など複合的な要因が絡み合った。

北アフリカ征服とイフリーキヤの確立

639–642年、アムル・イブン・アースがエジプトを掌握し、アレクサンドリア陥落によってナイル東西の回廊が開いた。続いて670年、ウクバ・イブン・ナーフィウが軍営都市カイルワーンを建設し、西進の橋頭堡が築かれる。698年にはハッサン・イブン・ヌウマーンがカルタゴを攻略し、ビザンツの拠点を失わせた。ベルベル系諸勢力は当初抵抗と協調を織り交ぜ、軍事同盟・改宗・税負担の調整を通じて秩序が再編された。こうしてIfriqiyaは地中海・サハラ交易を結節する新たな行政単位として機能し始めた。

カイルワーンの役割と行政運営

カイルワーンは軍と財政の中枢として、ディーワーン(名簿・給与台帳)に基づく兵站管理と、裁判・徴税の窓口を担った。都市はモスク・スーク・隊商宿を核に拡張し、征服地統治の「標準モデル」としてマグリブ各地に派生的影響を与えた。港湾(ティユニスなど)と内陸のオアシスは、補給・人員移送の要として相互に連結された。

イベリア半島への渡海と初期支配

711年、ターリク・イブン・ズィヤードがジブラルタル海峡を渡海し、グアダレーテ付近で西ゴート王ロデリックを破った。翌712年、ムーサ・イブン・ヌサイルが増援し、トレド・コルドバ・セビリャなど中核都市が次々と開城・占領された。征服初期は在地貴族との降伏協定(税負担・信仰の自由・財産保全)が並行し、軍営・租税・司法の枠組みが段階的に浸透した。北部山地の抵抗は継続し、ピレネー越えの進撃はやがて制約を受ける。

トゥール・ポワティエの戦いと拡大の限界

732年、ガリア内陸での前進はトゥール・ポワティエの戦いで頓挫した。戦術上の勝敗評価には議論があるが、補給線の伸長、戦略的優先の転換、在地勢力の粘着的抵抗などが重なり、以後はピレネー以南の再編へと重点が移る。これにより地中海西域の均衡は、al-Andalus中心の再編と、フランク勢力の台頭という二極化へ向かった。

税制・軍事・社会の再編

  • 税制:在地の非ムスリムにジズヤ、土地にハラージを課しつつ、改宗進展や土地保有の変化に応じ調整された。

  • 軍事:アラブ・ベルベル混成の騎兵が主力となり、要塞化都市と回廊支配を組み合わせる運用が普及した。

  • 社会:マワーリー(被保護改宗者)の増加は法的身分調整を促し、部族系譜と新来改宗層の関係は政治動態の重要因となった。

マグリブの動揺と自立化

740年代の大ベルベル反乱は、税負担・平等観念・信仰実践をめぐる不満が爆発した事件で、ハワーリジュ派思想の影響も指摘される。これによりウマイヤ朝の西方統治は動揺し、イフリーキヤは地域志向の政権が台頭しやすい土壌を得た。やがて9世紀にはアグラブ朝が成立し、カイルワーンを中心に港湾・農地・工芸生産が再活性化する。

アル=アンダルスの形成と都市文化

756年、アブド・アッ=ラフマーン1世が後ウマイヤ政権を樹立し、コルドバを中心に独自の政治秩序を築いた。929年のカリフ宣言は権威の象徴であり、灌漑・農学・紙・製本・翻訳活動が隆盛して都市文化が高度化した。学芸の場では、法学(マリキ派)・哲学・天文・医学が発展し、貨幣流通(ディナール・ディルハム)と商業金融が地中海ネットワークと連動した。

宗教・法と共存の枠組み

ズィンミー(被保護民)制度の下、ユダヤ教徒・キリスト教徒は信仰を維持し、法廷や税制で区分された。マリキ法学の普及は、社会規範・市場監督・ワクフ(寄進)運用に実務的指針を与え、日常的秩序の安定に寄与した。

地中海秩序への影響

海運・隊商路の再編によって、西地中海の穀物・織物・金銀・奴隷・紙といった商品循環が活発化した。北イタリアや南仏の商人都市はal-Andalus・Ifriqiyaとの往来を深め、貨幣経済の再活性化を後押しした。知識面では翻訳運動が科学・哲学を媒介し、後世のヨーロッパ知の復興に波及した。

史料と史学上の論点

主要史料として、アラビア語年代記(アル=バラードゥリー、イブン・アブドゥルハカム等)、ラテン語年代記、碑文・貨幣・考古資料がある。征服の速度や協定の実態、改宗の段階性、ベルベル反乱の性格評価などは、史料間の叙述差と地域差を踏まえて再検討が進む。用語「イスラームの西方征服」自体も、軍事史・制度史・宗教社会史を横断する分析枠として再定義されつつある。

地理範囲と用語整理

  • Ifriqiya:チュニジア周辺を中心とする行政単位。カイルワーンが拠点。

  • Maghrib:北アフリカ西部の広域概念。ベルベル系社会とサハラ交易が結節。

  • al-Andalus:イベリア半島のイスラーム政体。後にタイファ分裂を経て多極化。

  • Gibraltar:711年の渡海要衝。地中海と大西洋の接点。

以上の過程を通じ、「征服」は領土拡大のみならず、税制・法・都市・交易・宗教実践の再編が絡む重層的現象であった。地中海西域における秩序の再構築は、イスラームとヨーロッパの長期的相互作用の舞台を整えた点で、世界史的転換の一局面をなす。