アメリカ独立宣言|自由と平等を掲げた独立宣言

アメリカ独立宣言

アメリカ独立宣言は、1776年7月4日、フィラデルフィアで開かれていた第2回大陸会議が採択した文書であり、13のイギリス植民地がイギリス本国からの独立を公式に宣言したものである。自然権思想や人民主権、圧政に対する抵抗権といった近代政治思想を明確な言葉で表現し、その後の世界各地の国家建設や人権宣言に大きな影響を与えた文書として位置づけられる。

成立の背景

18世紀半ば、北アメリカのイギリス植民地は、フランスとの植民地戦争を通じて経済的に成長する一方、本国議会による重い課税と統制に不満を募らせていた。印紙法や茶法などの課税立法に対して、植民地側は「代表なくして課税なし」を掲げて反発し、ボストン茶会事件などの激しい抗議行動が起こった。本国政府がこれに対して強硬な弾圧政策をとると、植民地側では統一的な政治機関として大陸会議が開かれ、やがて武力衝突が始まる。こうした独立戦争の中で、単なる不満表明ではなく、正式に独立を宣言する必要が高まり、アメリカ独立宣言の起草へとつながったのである。

起草と採択の過程

アメリカ独立宣言は、第2回大陸会議によって任命された5人の委員会が起草にあたった。その中心となったのがバージニア出身のトマス=ジェファソンであり、彼は啓蒙思想や自然権論に基づいて草案を書き上げた。この草案は、ジョン=アダムズやベンジャミン=フランクリンらの助言を受けつつ修正され、大陸会議の場でさらに文言の加筆・削除が行われた。1776年7月2日に独立決議そのものが可決され、7月4日に宣言文としての最終案が承認されると、植民地代表の署名が順次行われ、13植民地は「アメリカ合衆国」として自らを主権国家と位置づけた。

内容と政治思想

アメリカ独立宣言は、大きく序論、原理宣言、国王批判、独立の宣言の4部分から構成されている。序論では、人間は生まれながらにして生命・自由・幸福の追求といった譲ることのできない権利を持つという自然権思想が示される。続く原理宣言では、政府は人民の同意にもとづいて権力を与えられているにすぎず、その目的が権利の保護であること、もし政府がその目的に反し人民を抑圧するならば、人民には政府を変革し、あるいは廃止して新しい政府を打ち立てる権利があると明言される。

  1. 人間の平等と譲ることのできない自然権の確認
  2. 政府は人民の同意に由来するという人民主権の原理
  3. 圧政政府に対する人民の革命権の明確化
  4. イギリス国王ジョージ3世の専制的行為を列挙した告発
  5. 13植民地が自由で独立した諸州であることの宣言

このように、アメリカ独立宣言は単なる外交文書ではなく、近代的な自由と政治秩序の原理を宣言した思想文書としての性格を強く持っている点に特徴がある。

歴史的意義とその後の影響

アメリカ独立宣言は、その後のアメリカ政治の基本方向を示す指針として機能し、合衆国憲法や権利章典に受け継がれていった。また、その平等観や権利論は、18世紀末のフランス革命における人権宣言や、19世紀以降のラテンアメリカ諸国の独立運動にも思想的影響を与えた。さらに20世紀以降、人種差別撤廃運動や女性解放運動など、様々な社会運動の中で、「すべての人間は平等に造られている」という宣言の一節が繰り返し引用され、新たな意味付けを与えられてきた。このように、アメリカ独立宣言は18世紀アメリカの産物にとどまらず、近代世界における自由と人権の象徴として今日まで重要な位置を占めているのである。