アブー=アルアッバース
アブー=アルアッバース(Abū al-ʿAbbās ʿAbd Allāh, 在位750-754)は、ウマイヤ朝を打倒してアッバース朝を創始した初代カリフである。ホラーサーンの軍事力と在地アラブ・マワーリーの不満を結集し、クーファで即位したのち短期の治世で基礎固めを行った。尊称は「アッサッファーハ(流血王)」と伝わり、旧体制掃討の苛烈さを象徴する称であるが、制度面では新王朝の正統性を整えるための司法・財政の再編に着手したことで知られる。
出自と称号
彼はムハンマドの叔父アル=アッバースの家系に連なるハーシム家の一員で、アッバース家の宗教的権威をよりどころにした。敬称「アッサッファーハ」は敵対者への峻烈な処断を強調する呼称で、王朝樹立期の宣伝と恐怖の政治の両面を表現する。なお史料によっては称号の解釈や用法に揺れが見られる。
蜂起の背景とホラーサーン勢力
ウマイヤ朝末期、シリア軍中心の特権体制とアラブ部族抗争、さらに非アラブ改宗者(マワーリー)への不公平が不満を蓄積した。ホラーサーンでアブー・ムスリムが組織した軍は、土地に根差した兵とマワーリーを糾合し、黒色の旗印の下で反乱を拡大した。この地域基盤が、王朝交代の原動力となった。
決戦と即位
750年、大ザーブ川の戦いでウマイヤ朝は壊滅的敗北を喫し、権力の空白が生じた。アブー=アルアッバースはイラクの宗教・学問中心地クーファで支持を得てカリフに推戴され、ここを起点に政権を整えた。王宮は当初ハーシミーヤに置かれ、行政中枢の移行が段階的に進められた。
統治の理念と正統性の主張
彼の正統性は、ハーシム家の血統と「共同体の正義回復」という大義に基づいた。説教壇(ミンバル)や公的文書では、預言者一族への奉仕と共同体の統合が強調され、ウマイヤ朝の偏頗な配分と対置された。これにより、宗教的敬虔と社会的公正の回復者としての像が形成された。
制度整備:司法と財政
新王朝は各地カーディーの権限を再確認し、徴税ではマワーリーへの差別是正を掲げた。ジズヤ(人頭税)やハラージュ(地租)をめぐる運用は地域差が大きく、即位直後から調整が必要であった。彼の治世は短いが、後継者の下で進む制度改革の前提を整えた点は重要である。
旧体制掃討と政治的暴力
ウマイヤ家の残存勢力は徹底的に追討され、多くが処刑・流亡に追い込まれた。象徴的儀礼としての見せしめや財産没収は、恐怖による秩序回復という側面を持つ一方、部族間均衡の再編にも資した。長期的には恨みを残したものの、短期には新政権の抑止力となった。
宗教勢力とウラマーの位置づけ
アッバース朝は宗教学者(ウラマー)の権威を重んじ、法学・伝承学の保護を掲げた。クーファやバスラの学派は、法理の整序やハディース批判の進展を支え、王朝の統治理念に学術的裏づけを与えた。宗教的正統性の装置として、金曜礼拝の説教と司法実務が連動した。
軍事・地方統治
ホラーサーン軍は王朝の背骨であり、地方総督の任免は慎重に行われた。アブー・ムスリムの影響力は強大で、彼の存在は新体制の安定と潜在的ライバルの両義性を帯びた。辺境ではトランスオクシアナの掌握を進め、イラク・イラン高原の要地を繋ぐ補給線の確保が課題となった。
後継と遺産
アブー=アルアッバースは754年に没し、弟アブー・ジャアファル(第2代カリフ、通称アル・マンスール)が継いだ。後継者は行政と財政の再編を本格化し、やがてバグダード建設へつながる政策を採った。王朝の「学知」と「官僚制」の結合は、彼の時代に蒔かれた種が結実したものである。
史料と評価
彼の評価は、残虐性を強調する語りと、新秩序の創設者としての功績を認める叙述に分かれる。史料批判上は、王朝側のプロパガンダと敵対者の誇張を峻別することが要る。短い治世ながら、王朝交代の「決定的瞬間」を担い、正統性・暴力・制度改革が交錯する典型例を示したといえる。
用語メモ
- アッサッファーハ:初代カリフの尊称で、暴力的掃討を強調する政治的レトリック。
- ホラーサーン軍:在地アラブとマワーリーの連合的兵力。黒旗を象徴とする。
- クーファ/ハーシミーヤ:即位・初期政権運営の中心。のちに権力中枢は移動する。