アテネ
アテネは、古代ギリシア世界を代表するポリス(都市国家)である。バルカン半島南端のアッティカ地方に位置し、地中海交易の要衝として早くから発展した。強固な海軍力と民主政の確立、そして高度な文化・学術の隆盛など、多彩な側面を併せ持つ点が特徴的である。ペルシア戦争をはじめとする対外関係においてはギリシア連合の中心的役割を果たし、ポリス間での盟主の座をめぐる覇権争いでも常に歴史の表舞台に立ち続けた。その結果、華やかな文化遺産を残すと同時に、スパルタとのペロポネソス戦争など内部抗争にも巻き込まれ、興隆と衰退が交錯する波乱に富んだ歴史を辿ったのである。
都市の起源
アテネの起源は非常に古く、伝説によれば王ケクロプスによって建設されたとされる。紀元前2000年頃から人々が居住していた跡が見つかっており、エーゲ海の交易ルート上にある地理的条件も手伝って、早期から政治・経済の拠点として成長した。アクロポリスの丘を中心に形成され、周辺には小規模な村落が点在していたが、やがて「シノイキスモス(集住)」の進展によって統合されたポリスへと発展していったと考えられている。
政治体制の変遷
アテネは最初、貴族制を基盤とした政治運営が行われていたが、市民間の不満を背景にドラコンやソロンによる改革が進められた。ドラコンは法の成文化を行い、ソロンは負債の帳消しや財産に応じた市民の身分区分を導入するなど、市民権拡大の足がかりを作った。続くクレイステネスの改革は10部族制を敷き、民主政の基盤を確立していく。こうした流れの中で生まれた公的議論の場がアゴラであり、ペリクレスの時代には直接民主政が完成度を増し、多くの男性市民が政治に参加する独自の社会が築かれた。
ペルシア戦争と海軍力
アテネが台頭する大きな転機となったのがペルシア戦争である。紀元前5世紀初頭、アケメネス朝ペルシアの圧倒的な軍勢に対抗するため、強力な海軍力を備える必要が生じた。テミストクレスの指導のもとで建造された三段櫂船がアテナイを中心にギリシア艦隊の要となり、サラミスの海戦での大勝利をもたらした。これによってアテネは、デロス同盟の盟主として経済的・軍事的覇権を握り、地中海世界でも一目置かれる存在に成長したのである。
パルテノン神殿の建築
ペリクレス時代にはアテネ黄金期とも呼ばれる文化的隆盛が訪れる。アクロポリスの頂上にそびえるパルテノン神殿は、その象徴として建設された。フェイディアスら著名な彫刻家が参加し、女神アテナへの信仰と都市の威信を示すモニュメントとして圧倒的な美と技術を具現化している。ドーリア式の列柱を用い、建築全体の比例や彩色においても極めて高い水準を誇る。同時期には演劇や哲学、歴史学などの学問分野も活性化し、ソクラテスやプラトンといった思想家の輩出が続いた。
ペロポネソス戦争と衰退
軍事・文化の両面で絶頂を迎えたアテネであったが、その繁栄はスパルタとの対立を深め、紀元前431年にペロポネソス戦争へ突入する。陸軍力で勝るスパルタに対して海上封鎖や同盟都市の徴税に依存した長期戦を展開したが、疫病の蔓延や戦費の枯渇によって次第に劣勢に陥り、最終的に敗北を喫した。これを機に民主政は一時的に崩壊し、寡頭制や僭主の台頭など政治的混乱が続いた。都市としての勢いを取り戻すには長い時間が必要となり、強国としての地位は大きく揺らぐこととなる。
マケドニア支配とヘレニズム
紀元前4世紀後半になると、マケドニア王国がフィリッポス2世とその子アレクサンドロス大王によって強大化し、ギリシアのポリスは次々とその軍門に下る運命を辿った。アテネでも民主政治の火は絶えず残されていたが、実質的にはマケドニアの影響下で立法や外交を制限されるようになる。アレクサンドロスの東方遠征によって成立したヘレニズム世界において、アテナイは学問や芸術の伝統を維持し、後世のローマ帝国時代にも「古代の教育都市」としての名声を保ち続けた。
文化的遺産と後世への影響
アテネが残した文化的遺産は多岐にわたる。演劇分野ではアイスキュロスやソポクレス、エウリピデスが悲劇を大成し、アリストファネスが喜劇を独自の形式へと練り上げた。哲学ではソクラテス、プラトン、アリストテレスが西洋思想の基礎を築き、政治学や倫理学に深い足跡を残した。古代民主政の実践は後のヨーロッパ諸国の政治制度に影響を与え、現代の議会制民主主義を考察する上でも欠かせない前例とされる。さらに建築や彫刻、歴史学、修辞学など、あらゆる知的営みの原型を提供し、今もなお西洋文明の源流として語り継がれている。