紅衛兵|青年たちによる文化大革命とその後

紅衛兵

紅衛兵とは毛沢東を熱烈に支持した若者たちで、紅とは、中国語で赤をいい、共産主義・革命を防衛する兵隊を意味する。革命精神を守る兵士として毛沢東を熱烈に崇拝した。毛沢東は若者を原動力として利用し、紅衛兵の暴力(いわゆる文化大革命)を背景に権力基盤を固めたが、その後、若者を下放と称して辺境の農村部に強制移民させ、極貧生活を強いた。(参考:文化大革命,大躍進政策

紅衛兵
紅衛兵

目次

清華大学付属中学

1966年6月、エリートを育てるための学校である清華大学付属中学(中高一貫の六年制学校)の学生たちが、「革命造反精神万歳」という紙を壁に張り出した。清華大学付属中学の学生たちは、かって封建社会で苦しむ農民を救った中国革命の理想を自らになぞり、学校教育に対して批判を掲げた。毛沢東を崇拝し、その理念に基づいて学校革命に乗り出した。このとき「紅衛兵」を名乗ったことから、紅衛兵運動と呼ばれることになる。

革命とはつまり造反だ。毛沢東思想の精髄はつまり造反だ

毛沢東の手紙

大躍進政策の失敗で自身の権力が揺らいでいた毛沢東は、中学生を支持する手紙を出し、学生たちの扇動を試みた。この結果、学生たちの士気は高まり大規模な運動へ発展する。

労働者、農民、革命的知識分子と革命的党派を搾取し圧迫するすべての地主階級、ブルジョア階級、帝国主義、修正主義とその走狗に対する怒りと抗議を表しており、反動派に対する造反有理を唱えている。私は君たちに対し、熱烈な支持を表明します(毛沢東がしたという手紙の内容)

北京大学

既成の体制の反感や権力的な組織、特権階級に対する反感や革命への情熱、闘争心が若門おらを刺激し、紅衛兵運動はその規模を増し、北京大学を筆頭に中国中の大学に広がった。

造反有理

造反有理とは、毛沢東の言葉として紅衛兵が使ったスローガンである。「反抗するものには道理がある」という意味であるが、解釈は拡大し、紅衛兵の暴力を正当化することになる。まもなく世界の学生運動に広がり、日本をはじめフランス、アメリカでも使われるようになった。

毛沢東の演説

1966年8月、「紅衛兵」の腕章をつけた毛沢東は、天安門広場で学生の前で演説し、最高司令官になることを示した。全国から100万人の若者が集まり、毛沢東への忠誠を誓った。毛沢東へのお墨付きをもらった紅衛兵運動は暴走をはじめ、この8月だけで数千人の人々が殺されたと推計されている。

毛沢東の演説
毛沢東の演説

共産党幹部の弾圧

毛沢東への政敵とされた共産党幹部が資本主義に走る、走資派と称して、次々に引きずりだされ、大衆の前に引きずり出され、「X」印のついた看板を首にかけられた。両手を後ろでねじ上げられたその様子から、ジェット式と呼ばれた。幹部だけでなく、革命前の役人も役人であるという理由だけで、反革命とされ弾圧された。

文化大革命 幹部の弾圧
文化大革命 幹部の弾圧

教師に対する弾圧

学生を中心に形成された紅衛兵は自らの教師に向かい、教師への暴力や女性教師を引きずりだし丸坊主にするということが起こる。このため、学校は休校になり、文化大革命が行われている間は、教育が行われなかった。

親に対する弾圧

紅衛兵の青年たちの暴力は、実の親の告発にも向かう。大衆の前に引きずり出し、子どもが親の「罪状」を読み上げて親を殴るということが日常的に行われた。親子関係の破壊が日常的に、中国全土で行われた。

思想・宗教の弾圧

唯物論的な共産主義思想の前では、古い思想、古い文化、古い風俗、古い習慣は否定されるものであり、紅衛兵たちの暴力は、寺院、教会の破壊につながった。貴重な文化財も次々に破壊、放火された。

文化大革命 寺院破壊
文化大革命 寺院破壊

思想教育

思想教育は徹底され、紅衛兵は毛沢東以外の書物の破壊活動を行い、一軒一軒の家を回り、「反革命」の文書などがないかどうかを捜索し、本を燃やした。

女性弾圧

女性のハイヒールは、かかとが高い点が「ブルジョア的」だとして、かかとを切り落とされ、長い髪の女性も、「ブルジョア的」とされ、町中で髪を切られた。紅衛兵の批判を受けないように、女性たちは質素な人民服を着てズボン姿となり、化粧はせず、髪も短くせざるを得ない異常な状況に追い込まれた。

自殺

悲惨な状況に絶望して自殺する人も相次いだが、自殺をすると、人民を拒否し、党を拒絶したと判断され、その悪徳な思想が糾弾された。

紅衛兵の公認

軍や警察官には圧力がかかり、紅衛兵の暴力を黙認していた。紅衛兵から敵とされた人々は、次々に殺され、手をつけられない状況に追いやられた。

犠牲者

文化大革命は、膨大な犠牲者を出し、ある統計によれば、10年間で300万人が投獄され、50万人が処刑された。

紅衛兵の下放

紅衛兵による文化大革命が終わり、毛沢東が党内政治で権力を握ると、紅衛兵は毛沢東にとって邪魔な存在となる。また知識層を信用しておらず、紅衛兵を裏切る形で、彼らに下放を命じ、辺境の農村部での農作業に従事することを強制した。2000万人を超える青年が農作業を行い、毛沢東の死後、貧困に耐えられなくなった彼らは都市部に戻ることとなる。

知識青年が農村へ行き、貧農下層中農の再教育を受けるのは、大いに必要なこと(毛沢東)


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