渡来人|4世紀から7世紀に文字や仏教の伝来を果たした

渡来人

特に4世紀後半以来に盛んになった中国や朝鮮からの移住者のことをいう。日本が朝鮮への進出が盛んになると、中国・朝鮮出身の渡来人が日本に渡来し、日本の国籍を得た。多くは技術者で喜んで向かい入れられ、鉄器の生産、須恵器という焼き物、機織り、金、銀、金銅、銅などの金属工芸、土木などの新技術が主として朝鮮から伝えられれた。

目次

渡来人の背景

渡来人は朝鮮(特に百済)との交流、戦闘による捕虜、戦争による難民として日本に入ってくる。4世紀には、高句麗の進出によって楽浪・帯方両郡が滅亡し、半島における漢民族の勢力が失われ、その遺民たちは百済に亡命した。また、百済は中国南朝と通交して、多くの中国系の技術者を抱えていた。このような中国人の技術者や朝鮮人の技術者が、国王によって日本に贈られてきたり、戦闘による捕虜として日本に連行された。大陸から自分の意志で日本に逃れてきた者も少ない。とくに、7世紀始め、新羅によって百済や高句麗が滅ぼされると、難民として多くが渡来してきた。当時渡来人は、百済からの者が主として、新羅や高句麗、中国人も含まれた。

技術者

渡来人の大部分が技術者であった。その技術は多種多様で、陶器・織物・鍛治・木工・酒造などのほか、土木技術や農業技術もあり、大和朝廷や豪族の国力を増大させるものであった。大和朝廷は渡来人を部に編成し、当時の社会・産業・文化の発達に寄与した。

渡来人が与えた技術

  • 文字の習得
  • 仏教の受容
  • 氏姓制度
  • 横穴式石室
  • 大陸の土木技術による古墳の築造

渡来人の部

史部(ふひとべ)・文部(あやべ)・鞍作部(くらつくりべ)・服部(はとりべ)・鍛治部(かぬちべ)・陶部(すえべ)・錦織部(にしごりべ)・エ部(たくみべ)・酒部など

阿知使主(おちのおみ)

東漢(やまとのあや)氏の祖先。後漢の出で、帯方の地に移住し、応神天皇のとき17県の人民を率いて渡来した。技術は長けていたが、百済と高句麗で仕事につけなかったのをきっかけに大和朝廷が勧誘した。日本へは機織りを伝えた。

王仁

西文氏(かわちのふみ)の祖先といわれる。阿直岐(あちき)の推薦でにより日本に来、論語・千字文を伝えたという。楽浪郡が高句麗に滅ぼされたときの著名な学者であり、日本に漢字を伝えた。

弓月君(ゆずきのきみ)

秦氏(はた)の祖先。秦始皇帝の子孫で、応神天皇のとき127県の人民を率いて渡来した。詳細はわかっていない。

観勒

観勒は百済の出身で性別はわかっていない。方術や暦、地理などに長けていた。最初に任命された僧正である。

曇徴

曇徴は、高句麗出身の僧で日本に五経を伝えた。仏教の伝来に力を尽くしたが、芸術にも優れ、彩色、紙墨、碾臼(ひきうす)の導入につながった。