東方イスラーム世界
東方イスラーム世界とは、イラン高原から中央アジア、アフガニスタン、さらにインド西北部・北インドへと広がる地域において、イスラームが受容・展開し、独自の政治秩序・学術・都市文化を形成した歴史的世界である。とくに新ペルシア語の台頭とペルシア文化の主導、トルコ系軍事勢力の登場、スーフィー教団の浸透、シルクロード交易の活況が、統一的原理と多様な地域差を併せ持つ構造を生んだ。アッバース朝期以降、この地域は西方(エジプト・マグリブ・アル=アンダルス)と異なるリズムで政治的再編を繰り返しつつ、学術・芸術の中心として世界史的意義を獲得した。
地理的範囲と時代背景
東方と呼ぶ範囲は時代により変動するが、概ねホラサーン(ニシャープール・マシュハド周辺)からトランソクシアナ(サマルカンド・ブハラ)を経て、ヘラート・ガズニー・カブールを含む高地地帯、さらにパンジャーブ・ガンジス上流域へ延びる。9世紀の地方政権自立化、11世紀のセルジューク朝の拡大、13世紀のモンゴル征服とイルハン朝・チャガタイ・ウルスの成立、15世紀のティムール朝、16世紀のサファヴィー朝とムガル朝にいたる流れが骨格を成す。この連続の中で東方イスラーム世界は、政治秩序の変遷にもかかわらず、文化的連続性を保ち続けた。
ペルシア語と文芸の隆盛
新ペルシア語は宮廷・官僚制・学芸の共通語として確立し、史書・抒情詩・叙事詩が花開いた。フィルドゥスィー『シャー・ナーメ』はイラン的王権の記憶を壮大に再構成し、サーディーやハーフィズは倫理・愛・機知の凝縮を遺した。学術言語としてのアラビア語と併存しながら、実務・文学・外交文書ではペルシア語が広域に機能し、東西の宮廷文化を媒介した。こうして東方イスラーム世界の知的風景は、アラビア語学術の普遍性と、ペルシア語文芸の地域的親和を両立させる構造を持った。
共通語としてのペルシア語
新ペルシア語はアラビア文字を採用しつつ語彙・修辞を発展させ、行政・法務・商業通信に適した実用性を備えた。宮廷詩人と書記官(ディーワーン)は王権を飾り、都市エリート間の通用語として広域に通じた。英語での表記は”Persian”または”Dari”である。
トルコ系の進出と軍事秩序
オグズ系などトルコ系の遊牧民は軍事力を背景に政権中枢へ進出し、セルジューク朝の下でスルタン権が確立された。授与地制(イクター)は徴税権と軍役を結びつけ、地方支配と軍備維持を両立させる制度的枠組みを提供した。これによりペルシア系官僚・都市富裕層・ウラマーとトルコ系軍事エリートが共存する政治社会が形成され、東方イスラーム世界特有の権力構造が出来上がった。
都市・交易とシルクロード
サマルカンド・ブハラ・ニシャープール・ヘラート・イスファハーン・タブリーズ・ラホール・デリーなどの都市は、学術拠点であると同時に交易の節点であった。商人はキャラバンサライを結び、絹・綿布・陶器・金属器・紙・香料・宝石が流通した。貨幣経済が拡大し、都市手工業や市場(スーク)が繁栄、ワクフに支えられたマドラサや病院(ビーマールスターン)も都市機能を高めた。
学術・宗教と社会
数学・天文学・医学ではイブン=シーナーとアル=ビールーニーの業績が象徴的であり、観測台と書籍文化が知の蓄積を加速させた。法学・神学ではマドラサが人材を養成し、カラームとファルサファの対話は理性と啓示の関係を深化させた。スーフィー教団はナクシュバンディーやチシュティーなどの系列を通じ、修行・説教・慈善を媒介に庶民層へ浸透し、都市と農村を結びつける倫理・信仰の網を広げた。
モンゴルの征服と再編
13世紀のモンゴル征服は都市破壊と人口移動をもたらしたが、やがてイルハン朝やチャガタイ・ウルス下で財政と学術が再建され、紙幣実験・灌漑修復・学匠保護が進んだ。書画工房は中国・イランの技法を接合し、ミニアチュールや書体美が洗練された。ティムール朝期にはサマルカンド・ヘラートが芸術・学術の極点となり、建築は四イーワーン中庭型マドラサ、タイル装飾、壮麗な円蓋で特色づけられた。
政権の変遷と宗派秩序
イラン・中央アジアではサーマーン朝が古典的学術を保護し、ガズナ朝とゴール朝がアフガニスタンからインドへ進出した。のちにデリー・スルターン朝が北インドを組織し、16世紀にはムガル朝が広域帝国を築いた。一方、イランではサファヴィー朝が成立し、軍事・官僚・文芸の均衡を保ちながら地域秩序を再編した。こうした変遷は東方イスラーム世界の政治文化に連続性と転換を同時にもたらした。
サファヴィー朝の国教化
サファヴィー朝は十二イマーム派シーア派を国教化し、聖地・聖職者・法学の制度化を進めた。これによりイランは宗派的に明確な色彩を帯び、オスマン帝国やムガル朝との外交・文化交流にも独自性が生まれた。
美術・建築と技術
建築はイーワーン・ミナレット・モスク中庭・ハンマーム・キャラバンサライの複合が都市景観を構成した。タイルとモザイクは幾何学・植物文様を織りなし、装飾写本はコルドバ紙に代わる紙生産の拡大とともに高度化した。灌漑ではカナート(”qanat”)が乾燥地域の生産を支え、製糖・紡織・製陶が都市手工業の柱となった。
インド亜大陸での展開
デリー・スルターン朝はトルコ・アフガン系の支配層とペルシア語官僚を組み合わせ、地方支配を整理した。ムガル朝はアクバル以降、宮廷文化・歴史記述・建築を統合し、ペルシア語は官用語として存続した。チシュティー系スーフィーは都市・農村で影響力を持ち、説教・宿泊・施しを通じて社会的紐帯を形成した。
世界史的意義
東方イスラーム世界は、ペルシア語文化圏の主導、トルコ系軍事エリートの制度化、スーフィー教団の社会的網、シルクロード都市の繁栄、そして学術の国際性という五つの柱で把握できる。これらは単なる地域差ではなく、イスラーム文明の可塑性と包摂力を示す指標である。イラン・中央アジア・南アジアに残る都市景観、詩文、法学伝統、宗教実践は、今日に至るまで政治文化や社会倫理の基層を成し、世界の相互連関を照らす歴史的遺産であり続ける。