共和政ローマ
共和政ローマは、イタリアに住み着いたラテン人がティベル河畔に建設した都市国家が発展した国家である。伝説では前753年に建国されたとされるが定かではない。共和政ローマは将軍カエサルの躍進をきっかけにその政治体制を大きく転換させ、帝政ローマとして地中海全土を支配する世界の帝国となる。(共和政ローマ1/2)
共和政ローマ
共和政ローマは、初期のローマの政治体制で、前509年、専制的なエトルリア人の王が追放されて以降、貴族による共和政を強いた。
分割統治
ローマが、征服したイタリア半島諸都市を支配するために用いた統治方法。征服都市を植民市・自治市・同盟市などに分け、権利・義務に差を設けて、相互の団結とローマへの反抗を防いだ。なお、イタリア半島以外の領土に関しては属州として支配下に置いた。
- 植民市:ローマ市民と同様に、完全な市民権が認められた。
- 自治市:私法上の市民権は認められたが、権利は限定的で軍事・裁判など公法上の市民権は認められなかった。
- 同盟市:市民権は認められなかった。
ポエニ戦争
ポエニ戦争(前264~前146)は、ローマは有力な国家となって、ついにシチリアを支配していたフェニキア人の植民市カルタゴと衝突することになり、初めて海外に進出して3度にわたるポエニ戦争をひきおこし、カルタゴは消滅することになる。この勝利で西地中海の征服を決定づけた。
帝国主義
カルタゴを滅ぼした同年、ギリシア都市同盟を破棄し、コリントにも進軍した。また、マケドニアや小アジアの一部をも属州として総督やローマの商人は属州民を搾取する体制をとり、地中海に対して、帝国主義的な領土拡大戦略を進めた。
東地中海の征服
ポエニ戦争と平行して、ローマは東方のヘレニズム世界に進出する。まず、シリア王国の軍勢を小アジアから撃退し、(前190)、マケドニア・ギリシアを征服(前146)、さらにシリア王国を征服し(前64)、最後に前31年のアクティウム沖の海戦(前31)によってエジプト王国を滅ぼし、東地中海をも制圧した。ここでローマは世界帝国としての地盤を固めた。
属州
属州はイタリア半島以外のローマの征服地のことをいう。ローマは第1回ポエニ戦争で獲得したシチリア島以降、占領地をつぎつぎに属州として搾取の対象としていく。イタリア半島内は植民市などとして一定の自治や権利を認めていたが、住民の自治は許されず、中央から任命された総督が軍隊を率いて統治した。属州民は納税と軍事的義務を負い、総督・費税請負人の搾取るの対象とされた。
パンとサーカス
パンとサーカスはローマの皇帝や元老院という貴族などが、民衆に穀物の支給と催し物を与えることによる統治方法を揶揄してこのように表現された。この場合の「サーカス」とは、円形の競技場で行われた、剣闘士による戦い、多様なスポーツ、見世物の総称をいう。なお、は民衆は、ローマ市で遊んで暮らしていたわけではなく、公共建築や職人仕事で労働する人々がその大半であった。
新貴族(ノビレス)
地中海を征服した前4世紀後半、新貴族(ノビレス)とよばれる、富裕なパトリキとプレプス出身者からなる、新しい支配階層が生まれた。
閥族派(オプティマテス)
閥族派(オプティマテス)は、元老院中心の政治体制を維持しようとした。保守的な党派で、スラが代表的人物である。
平民派(ポプラレス)
平民派は、民会を基盤に政界に進出した反元老院派である。新貴族や騎士階級出身の野心家が、政界進出のために民会を利用したのであって、近代的な民主政治家とは異なる。マリウスが代表的人物である。
グラックス兄弟の改革
グラックス兄弟の改革とはグラックス兄弟(兄・前163~前133、弟・前153~前121)が目指した反元老院に関する改革である。兄は前133年に護民官となり、リキニウス法の復活による大土地所有の制限無産市民への土地再配分による自作農の創設、ローマ市民軍の再建をめざしたが、元老院と対立して暗殺された。弟は前123年に護民官となり、兄の改革を引き継いだが、元老院の反撃の中で自殺し、改革は失敗した。以後、ローマ社会は「内乱の1世紀」と呼ばれる.混乱の時代に突入した。
同盟市戦争
同盟市戦争とは、前91~前88イタリア半島内の同盟市が、ローマ市民権を要求しておこした反乱である。閥族派のスラが、元老院の了解のもとに市民権の付与を約束して収拾した。
キンブリ=テウトニ戦争
キンブリ=テウトニ戦争は、前113~前101年は、ゲルマン人の侵入である。この戦いにより共和政ローマは、疲労する。
奴隷制
共和政ローマは戦争捕虜を農業奴隷として酷使した。大規模に使用され、大農場経営(ラティフンドディア)の基盤となった。そのため、奴隷補充のための戦争をしなければならないシステムであった。しかし、一方ではスパルタクスの反乱など、大規模な奴隷反乱をまねいた。
三頭政治
三頭政治(前60-前53)とは、政治力で優れたポンペイウスと経済力に優れた騎士階級のクラッスス、軍才に優れたカエサルの三者によるローマ帝国への統治システムである。元老院が彼らの活動を抑えようとしたため前60年、密約を結んで国政を手中に収めた。
カエサル
三頭政治によりしばらく安定した共和政ローマであったが、クラッススが戦死し、カエサルがガリア遠征を成功させたことにより、バランスが崩れる。焦ったポンペイウスはカエサルに反感が強かった元老院と協約を結び、カエサルと敵対する。カエサルは軍事力を行使し、ポンペイウスと元老院を追い詰め、ポンペイウスは逃亡先のエジプトで殺害される。カエサルの躍進を境に元老院は弱体化を進め、共和政ローマは帝政ローマへと大きく転換することになった。