上野戦争|戊辰戦争,大村益次郎の指揮

上野戦争@戊辰戦争

上野戦争とは、1868年5月15日に徳川慶喜が江戸城の無血開城をしたのを受け、それを受け入れられない浪士が、上野にある寛永寺に立てこもり激しく抵抗した戦争である。彼らは彰義隊として徳川慶喜の警備を行った者が中心であるが、大村益次郎率いる新政府軍による全滅に追い込まれた。

大村益次郎

大村益次郎

目次

彰義隊

1868年2月8日、浅草の東本願寺に集結した旧幕臣が彰義隊を結成した。彰義隊は、もともと江戸の警備や徳川慶喜の護衛を名目として上野に集結したが、徳川慶喜が水戸藩に移ったあとも市中取締りとして江戸に残っていた。これに新政府に恭順した諸藩からの脱藩者も加わることになる。彰義隊が次第に新政府を敵対視するようになり、主戦論へと化すようになる。輪王寺宮公現法親王に従い、新政府との交渉に臨んだ覚王院義観(僧)により、極端な佐幕論が彰義隊に浸透した。

佐幕論

幕府の政策を支持し、幕府を維持させようとする主張を佐幕論という。

上野戦争で敗退

大村益次郎は長州藩の奇兵隊の指揮も務めたが、上野戦争では、新政府軍側の指揮をとっていた。大村益次郎は市街地に火災が広がらないよう雨の多い季節を選び、5月15日を攻撃日と決め、江戸市中に高札を立て、開戦の予告をした。
午前8時ごろ、戦闘が始まった。寛永寺にこもる旧幕府軍の彰義隊に対し、新政府軍は上野広小路から攻める黒門口の正面攻撃と団子坂からの背面攻撃に加え、不忍池を挟んだ対岸からも砲撃を加えた。軍備力に勝る新政府軍の前に、夕方までに勝敗が決し、敗れた彰義隊は大村益次郎が用意した退路をたどって退去した。

幕府軍

小銃他:スペンサー銃、スナイドル銃、ミニエー銃
機関銃:ガットリング銃
大 砲:山砲、載臼砲、臼砲
艦載砲:飛距離約4kmのアームストロング砲

旧幕府軍

小銃他:ヤーゲル銃、丸弾の火縄銃
機関銃:携臼砲、
大 砲:山砲
艦載砲:飛距離約2kmの艦載砲

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