レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci 1452-1679
レオナルド・ダ・ヴィンチは、イタリアのルネサンス期の画家・建築家・科学者・発明家。代表作は『最後の晩養』、『モナ・リザ』、研究を記した『手記』。フィレンツェ郊外のヴィンチ村に生まれ、少年時代から絵画の修業を積み、やがてミラノで芸術、科学、要塞講説の建設、兵器の発明などに才能を発揮した。社交性にすぐれ多くの人々に愛されたが、結婚はしなかった。晩年は、フランスのクルーで余生を送った。彼にとって絵画は、合理的な写実主義に基づき、数学的な遠近法や、自然についての観察、人体の解剖学的知識を基礎とする科学の集大成であった。レオナルド・ダ・ヴィンチは、芸術をはじめ解剖学、地質学、流体力学、築城、兵器、人力飛行機の開発などにたずさわり、自然の観察と実験を重んじる科学的な思考の先駆者とされる。
レオナルド・ダ・ヴィンチとパトロン
レオナルド・ダ・ヴィンチも当時の多くの芸術家と同じようにそのほとんどをパトロンへの奉公として生涯を送った。フィレンツェのメディチ家やミラノのスフォルツァ家をはじめ、各地のパトロンから注文をうけ、当時一番の評判を得ていた。レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作である『モナ・リザ』であるが、そのモデルは、パトロンであるフェラーラのエステ家出身である、イザベラではないか、という説もある。芸術的才能だけでなく、社交性に優れ、即興演奏もでき、話術はひとの関心を逃さないことで知られた。ライバルであったミケランジェロが人間嫌いの天才肌だったことに対照的である。
万能人であるレオナルド・ダ・ヴィンチ
ルネサンス期の理想としている人々を、万能人とよんだ。万能人とは、あらゆる分野に精通し、自らの才能を開花させた、多種多彩の人々をいう。レオナルド・ダ・ヴィンチはそのひとりで、画家・建築家・科学者・発明家でさまざまな分野に才能を発揮した。しかし一方で、レオナルド・ダ・ヴィンチの多くの作品は未完成であってキャンセルも多かった。また生涯を通じて取り組んだ科学観察と分析とは、公表されないノートに、判読困難な左右が逆の鏡文字で、びっしりと書き込まれている。華々しい万能人のイメージの反面、ニヒリズムとも思えるような虚無的な側面の跡が残されている。
『最後の晩餐』レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作で、ミラノのサンタ=マリア=グラッツィエ聖堂の壁画、数学的な遠近法を使い、キリストを中心に12人の弟子を横一列に並べて、全体的に比例のとれた調和を保っている。キリストがユダの裏切りと自分の死を予告し、弟子たちが驚く劇的な場面の中で、キリストは神の意志のままに人類の罪を救うために十字架で死ぬことを覚悟した。崇高な平静さにあふれた表情で描かれている。
『受胎告知』レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチが20歳の頃まだ無名だった頃に描いた作品。縦98cm、横217cmポプラの板に描かれている。大天使ガブリエルが聖母マリアにキリストを身ごもったことを伝えるシーンである。『受胎告知』
発明家としてのレオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダヴィンチは多くのメモを残しており、螺旋プロペラ(ヘリコプター)や戦車、機関銃、羽ばたく翼などの下絵が残されている。