リュケイオン|アリストテレスの学校

リュケイオン Lykeion

アリストテレスがアテネ郊外に開いた学園。アポロン=リュケイオスの神を祀る聖域に建てらたことからこの名がつけられた。アレクサンドロス大王の支援を受け、多くの標本を収集した博物館や図書館などをそなえた高度の研究機関である。

アリストテレス
アリストテレス

リュケイオンが建てられた背景

プラトンの死後、アリストテレスはアテナイを離れ、小アジアのアッソスやレスボス島のミュティレーネで5,6年暮らした。前342年、マケドニア王フィリポス二世から、皇太子アレクサンドロスの教育を7年間務める。前336年、フィリポス二世が暗殺され、アレクサンドロスが王位を引き継ぐ。これをきっかけにアテナイに戻る。前335年、アリストテレスは、アポロン・リュケイオスの神殿に学園リュケイオンを開くが、このときの経済支援をしたのが、かって教師を勤めたフィリポス二世であった。

アリストテレスの死後

第二代の学頭は、テオフラストス、大三代の学頭はストラトン。リュケイオンでは主に形而上学が学ばられていたが、ストラトン以降、哲学から人生論の学問に移っていく。前一世紀、アリストテレスの講義ノートが発見され、政治家スーラの手でローマに運ばれ、蔵書家テュラニオンに移る。紀元前30年頃、当時のリュケイオンの学頭ロドスのアンドロニコスによって整理編集され公刊されて以降、後期ペリパトス学派が発足し、6世紀まで、講義ノートを中心にアリストテレス研究が行われた。


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