ユグノー戦争

ユグノー戦争

16世紀のフランスでは、シャトーブリアン勅令(1551年)によって、プロテスタントが全面的に禁止されていた。そのため、ユグノーと呼ばれるプロテスタント(新教徒) とカトリック(旧教徒)が争うユグノー戦争 (1562〜98)と呼ばれる宗教戦争がつづいた。両者が調停されるのは、このユグノー戦争に加え、1572年のサン・バルテルミの虐殺(プロテスタントがパリで3000人、地方で3-10万人虐殺)を経てからであった。

モンテーニュのユグノー戦争

当時、ボルドー市の市長を勤めていたモンテーニュは、宗教の対立から戦争で血を流すことの愚かさを訴え、カトリック派の国王とユグノー派のナヴァール公アンリ(のちのアンリ4世)との調停をはかる。

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