ニッコロ・マキャベリ|政治学,君主論

ニッコロ・マキャベリ Niccolò Machiavelli 1469-1627

マキャベリは、イタリアのルネサンスの政治家・政治学者・歴史家。近代政治学の祖。主著はローマの共和制を賛美した『ローマ史論』、君主の統治法を論じた『君主論』。フランスによるイタリア侵入や教皇アレクサンデル6世の子チェーザレ・ボルジアが中部イタリアへの侵攻を憂い、政治を宗教や道徳から切り離し、現実に立脚して考察した政治論を説いた。特に主著である『君主論』は、フィレンツェの強大な権力を有するメディチ家の関心を書いたが、そこには、君主たるものときには、信義を守るのが自分に不利を招く時、信義を守れるものではないし、守るべきものでもない、とし、時には不道徳であってもかまわず、狐の賢さとライオンの強さを同時にもつことが重要であるとした。

マキャベリの生涯

イタリアのフイレンツェの下級貴族に生まれる。青年時代からローマ史を研究し、フィレンツェの外交官としてイタリア各地を訪問した。当時、フランスによるイタリア侵攻や教皇アレクサンデル6世の子チャーザレ・ボルジアが中部イタリアを次々に支配下においていく過程を見て、強力な君主によるイタリアの統一を切望するようになる。1512年に共和政が倒れてメディチ家の支配が復活すると、反メディチの陰謀に加担した疑いで投獄された。その後はフィレンツェ郊外にひきこもって読書と著述に専念し、再び外交官になるため『君主論』をメディチ家に贈った。

マキャベリの年表

1469年 イタリアのフィレンツェに生まれる
1496年 フィレンツェ共和国第二書記局に採用される。以後、イタリア各地、フランス・ドイツなど各地に使節として出向く
1512年 フィレンツェ共和国が滅び、政府を解任される
1513年 反メディチの陰謀への疑いから逮捕、投獄、拷問を受けた。『君主論』『政略論』執筆。
1517年 『政略論』完成。
1527年 死去

マキャベリの政治学

マキャベリは、強国樹立のためにはきつねの賢さ(罠を見破る賢さ)とライオンの強さ(敵を寄せつけない強さ)の両方を兼ね備えた強力な君主が必要であり、君主は権力の維持のためには道徳も無視し、虚偽も不正も認められるとし、結果の有効性によって手段のもつ反道徳性は正当化されると主張した。宗教や道徳とは別に政治を考察すべきとした。

「国を維持するためには、信義に反したり慈悲にそむいたり、人間味を失ったり、宗教に背く行為も度々やらなければならない」(『君主論』マキャベリ)

「臣民を統合し忠誠心をもちつづけさせるかぎりにおいて、残忍さに対する非難を招きはせぬかなどと心配すべきではない。・・・2つ合わせもつことができないのなら、愛されるより恐れられる方がはるかによい。」(『君主論』 マキャベリ)

マキャベリの人間観

マキャベリにとって、人間に失望しているように書かれている。これはマキャベリが生きた時代があまりに暗黒で苦境だったことに由来するかもしれない。

「人間は恩知らずで気まぐれで嘘つきで、裏切り者であり、危険を避け、欲得には目がない。あまたが恩恵を施しているうちはみんなあなたの意のままになる。危険が身に及ばぬうちは・・・あなたのために知を流し、財産や生命や子どもを危険に晒すだろう。しかし、いざあなたに危険が迫ってくるとあなたに背を向ける。・・・人間は恐れている人よりも愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つける。」(『君主論』 マキャベリ)