セルビア
セルビアは、ヨーロッパ南東部のバルカン半島中央に位置する内陸国家である。北はハンガリー、東はルーマニアとブルガリア、南は北マケドニア、西はクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロと国境を接し、首都はベオグラードである。古くから東西交通の要衝であり、スラヴ系民族、正教会文化、さらにはオスマン帝国やオーストリア帝国の影響が交差してきた地域である。
地理と民族構成
国土北部にはドナウ川流域の平原が広がり、南部・西部は山地と丘陵が占める。気候は内陸性で、暑い夏と寒冷な冬が特徴である。住民の多数を占めるのは正教会を信仰するセルビア人であり、他にアルバニア人、ハンガリー人、少数のロマなど多民族が共存する。公用語はセルビア語で、キリル文字とラテン文字の両方が用いられる。
- 北側の隣国:ハンガリー
- 東側の隣国:ルーマニア、ブルガリア
- 南側の隣国:北マケドニア
- 西側の隣国:クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ
歴史の概要
セルビアの歴史は、中世の王国形成、長期にわたるオスマン帝国支配、近代の民族運動と独立、そしてユーゴスラビアの構成共和国としての時代を経てきた歩みである。とくに近代以降、民族自決とナショナリズム、列強の思惑が複雑に絡み合い、しばしば国際政治の焦点となった。
中世セルビアとオスマン支配
中世にはネマニッチ朝のもとでセルビア王国が成立し、一時はバルカン広域を支配した。しかし、14世紀末のコソボの戦いを契機に勢力は衰退し、15世紀にはオスマン帝国の支配下に入った。以後数世紀にわたり重税や軍役が課される一方、正教会や地方自治が一定程度温存され、民族アイデンティティの核となった。
近代セルビア王国と第一次世界大戦
19世紀初頭、カラジョルジェらの蜂起を契機に第一次・第二次セルビア蜂起が起こり、自治公国としての地位を獲得した。やがてベルリン会議を経て独立王国として承認され、バルカン戦争では領土拡大を図った。オーストリア=ハンガリーとの対立は激化し、サラエボ事件後の第一次世界大戦勃発の重要な要因となった。戦後、セルビアは南スラヴ諸民族とともに新国家建設の中心となる。
ユーゴスラビア時代
第一次世界大戦後、セルビアを中心にセルブ・クロアト・スロヴェーン王国が成立し、のちにユーゴスラビア王国と改称された。第二次世界大戦期には枢軸国の占領と内戦を経験し、戦後はチトーの指導のもと社会主義連邦国家となった。この時代のセルビアは連邦を構成する共和国の一つであり、コソボやヴォイヴォディナには自治州が設けられた。
ユーゴスラビア解体と現代
冷戦終結後、ユーゴスラビア連邦では民族緊張が高まり、1990年代にはクロアチアやボスニアで武力紛争が発生した。連邦内で最大の人口をもつセルビアは、スロボダン・ミロシェヴィッチ政権の下で強硬な民族主義政策を進め、国際的孤立と経済制裁を招いた。コソボ紛争とNATO空爆を経て政治体制は転換し、2006年にはモンテネグロの独立によりセルビアは単独国家として現在の形となった。
政治体制と国際関係
現代のセルビアは議会制共和国であり、大統領と首相を頂点とする体制をとる。21世紀以降、欧州連合への加盟候補国として制度改革を進めつつ、ロシアや中国との関係も重視する多角的外交を展開している。とくにコソボの地位問題は外交の最大課題であり、欧米諸国との対話と、国内世論との調整が続いている。
経済と社会・文化
経済面では、社会主義的計画経済から市場経済への移行が続き、機械工業や自動車産業、農業、ITサービスなどが成長分野となっている。物価や雇用はなお不安定な面もあるが、外資導入やインフラ整備が進む。社会・文化面では、ベオグラードを中心に演劇や映画、音楽フェスティバルが盛んであり、正教会の祭礼や家族単位で聖人を祝う「スラヴァ」など独自の宗教文化も息づいている。料理や音楽にはトルコ的要素と中欧的要素が混在し、セルビアの歴史的多様性をよく示している。