シュリーマン
シュリーマン(Heinrich Schliemann、1822年~1890年)は、ドイツ出身の実業家兼考古学者である。主にトロイア遺跡やミケーネ遺跡の発掘によって名を知られ、ホメロスの叙事詩に登場する伝説の都市を現実の歴史と結びつける一大業績を残した。商才に優れて若くして財を成すと、その資金をもとに独学で言語や歴史、考古学を研究し、ギリシア神話の舞台を実地に探究した点が画期的である。伝説上のトロイアの発見は19世紀ヨーロッパに衝撃を与え、当時のギリシア・ローマ研究に新たな方向性を示した。個人の情熱と行動力で古代の実在性を突き止めた姿は「考古学の冒険家」として語り継がれ、ホメロスの詩的世界を科学的検証へ結びつけた先駆的存在とされている。
生い立ちと商業的成功
シュリーマンはプロイセン王国の貧しい牧師の家に生まれた。幼少期からギリシア神話やホメロスに強く惹かれ、これらの物語が実在の歴史を反映していると信じたという。十代で家を出て商店勤めや航海に従事するうち、語学を独学しながら商才を発揮して国際貿易に乗り出した。クリミア戦争期には軍需物資の取引で財を築き、経済的独立を果たすと、やがてビジネスから手を引いて考古学研究に専念する道を選択したのである。
トロイアへの挑戦
ギリシア語やラテン語を含め多言語を自在に操るようになったシュリーマンは、ホメロスの『イリアス』を手掛かりに伝説の都市トロイアを探究し始めた。古代の文献や地理的手掛かりをもとにトロイアの比定地として小アジア(現トルコ領)のヒッサルリクを選び、1870年頃から大規模な発掘を実施する。発掘の過程では近代的な調査手法を十分に遵守せず遺構を破壊するミスもあったが、壮麗な黄金のマスクや装飾品が見つかり、「プリアモスの宝」と名付けたことで世界の注目を集めた。ホメロスの物語と現実の遺跡を結びつけた功績は学界に大きな反響をもたらすが、一方で貴重な層位の破壊については現在も批判の対象となっている。
ミケーネ遺跡の発掘
トロイアでの成功を受けて、シュリーマンはさらなる古代ギリシア文明の源流を探し求める。アルゴリス地方のミケーネ遺跡を掘り進め、黄金のマスクや多彩な副葬品を発見したことは「アガメムノンのマスク」の名で世界を驚かせた。これらの出土品はミケーネ文明の存在を証明し、青銅器時代のギリシア本土が高度な文化を持っていた事実を浮き彫りにした。シュリーマン自身は発掘方法に多くの改善を施さなかったが、近代考古学への礎を築き、後世の研究者によるミケーネ文明の体系的理解を助ける端緒ともなった。
主な功績
- トロイア遺跡発掘:ホメロス伝説の実在性を世界に示した
- ミケーネ遺跡発掘:青銅器時代ギリシアの黄金文化を解明
- 多言語習得:商業と研究を両立させ、文献解析を可能にした
晩年と遺産
シュリーマンは後年もギリシア本土やトルコ各地での発掘を続け、若い研究者への助言や財政支援を惜しまなかった。考古学者としての手法には近年の科学的基準から見て問題が多かったが、古代ギリシア文明への情熱と資金力、語学力を兼ね備えた行動力は現代考古学の道を切り開いた功労者と評価されている。1890年にナポリで急逝したが、その後も彼が発掘した遺物はヨーロッパ各地の博物館に収蔵され、古代文化の魅力を人々に伝え続けている。
研究の意義と課題
シュリーマンが果たした意義は、ホメロスをはじめとする古代文学の史実性を実際に検証しようとした姿勢にある。古代ギリシア文明の前段階としてトロイアやミケーネが輝かしい文化を持っていた事実は、後のギリシア史の見直しにつながり、エーゲ文明研究の道を大きく広げた。一方で遺跡の多層構造を破壊したり、出土品の正確な記録を怠ったことなど、早期の研究では考古学的手法が十分確立されていなかった問題も顕在化している。この二面性が現在の学術界における評価の分かれ目であり、シュリーマンの発掘成果を再検証することが依然として重要視されている。