コンスタンティアヌス|キリスト教を認めたローマ帝国の皇帝

コンスタンティヌス

コンスタンティヌス(副帝306以後、正常310~337)は、ディオクレティアヌス退位後、ローマ帝国はまたも内乱におちいったものの、混乱を収めて再びローマ帝国を再統一した皇帝である。分治体制から独裁制を強めたが、ディオクレティアヌスの政策はそのまま受け継がれた。

キリスト教

コンスタンティヌスは、基本的には、前皇帝ディオクレティアヌスの政策を引き継いだが、305年のミラノ勅令でキリスト教を公認、ニケーア公会議(325)において、その教義を統一した。帝国の精神的統一を図った。統治の宗教的基盤としてキリスト教を支援した。増大した信徒を懐柔するための政治的措置である。

遷都

330年にコンスタンティヌスは黒海とエーゲ海を結ぶ海峡にあるビザンティオンを新しい首都と定め、これに自分の名を与えてコンスタンティノポリス(現在のイスタンブル)と呼んだ。これは、名目上の首都で実質的な舅ではなかった。伝統宗教の残るローマを去って、キリスト教的な首都を建設しようと推察される。コンスタンティノープルへの遷都は、この時代には、ローマ帝国の中心が東方ギリシア世界に移った結果であり、帝国の東西への分離傾向は強まっていった。

コンスタンティノープル

コンスタンティノープルは旧名ビザンティウムといい、現在のイスタンブールである。黒海入口にギリシア植民市として建設された都市である。コンスタンティヌスは、ローマ帝国の繁栄の中心が東方に移行したことを背景に、330年、帝国の首都とされ、皇帝の名をつけてコンスタンティノポリスと改称された。

階層的社会

コンスタンティヌスは当時の皇帝にならい、皇帝の専制化は進めた。その結果、官僚制が発展し、国民の身分・職業は固定化される傾向がみられる。農業小作人(コロヌス)を法整備をすすめ、土地に緊縛されるような改革が行われた。ローマ帝国は階層的社会となって、市民の自由は失われることとなった。

ソリドゥス金貨

ソリドゥス金貨を基軸通貨とし、地中海交易の活発化を進めた。

ササン朝ペルシアの侵略

4世紀後半、ローマ帝国はササン朝ペルシアの侵入をうけ、ユリアヌス帝(位361~363)は遠征中に戦死することとなる。