オリエント(西アジア) Orient
オリエント(西アジア)は、ラテン語で「日の昇るところ」という意味で、古代ローマ人がイタリア半島から見て東方の地方を指した言葉である。Occident(西洋)に対する用語で、おもにエジプト・西アジア・小アジアなどを含む地域をいう。豊かなナイル川、ティグリス川、ユーフラテス川を中心に豊かな文明が生まれた。代表的な文明は、エジプト文明やメソポタミア文明があげられる。下記の地図がおおよその場所であるが、書き込まれた文字は大まかな目安(正確でない)ため注意ください。
オリエント(西アジア)が生み出した文明
- エジプト文明(前30C)
- メソポタミア文明(前30C)
- ヒッタイト
- ミタンニ
- カッシート
- アッシリア
- アケメネス朝ペルシア帝国(前5C)
- アレクサンドロス帝国(前4C)
- ディアドコイ(後継者)国家(前4C)
- ローマ帝国(2C)
- パルティア・ササン朝ペルシア(前2C~7C)
- イスラーム帝国
- ビザンツ帝国領(11C)
- アッバース朝(8C)
- トルコ人ムスリムの定住(11C)
メソポタミア
メソポタミアとは、「川の間の地域」の意味で、ティグリス・ユーフラテス両河流域の地方を指す。両河地方とも呼び、ほぼ現在のイラクにあたる。メソポタミア文明が栄えたことで知られる。早くから灌漑農業が行われ、穀物の収穫も増えたと考えられる。しかし、塩害が発生する地域で、最古の農業地域のひとつでありながら、農業は衰退した。
ティグリス川・ユーフラテス川
ティグリス川・ユーフラテス川は、小アジアのアナトリア高原東部に発し、メソポタミアを流れ、ペルシア湾に注ぐ川流域の沖積平野には治水・灌漑による農業が早くから営まれ、前3000年頃にバビロン、ウルク、ウル、ラガシュといった都市文明が成立した。
肥沃な三日月地帯
パレスチナ・シリアからメソポタミアにいたる農耕文明の成立地帯で、9000年前、人類が最初に農耕をはじめた地帯である。(エジプトも含める場合もある。)平原と高原の境にあたり、森林の多様な植物と灌漑しやすい平原が出会う地である。
遊牧の地
アラブとは遊牧民を意味し、アラビアとはかれらが住んでいる地(砂漠)を指す。半島中央には246万km²(日本面積の約6.5倍)の砂漠がある。
イラン
イランとは、アーリヤ人のたちの国という意味で、インド=ヨーロッパ系の一派アーリア人が前1000年頃から住み着いた。南北を大きな山ひだが走るイラン高原は、乾燥地帯で塩分が強い土地がらのため、多くの住民は山羊や羊を飼って遊牧の生活を送る。
エジプト
ヘロドトスは、エジプトはナイル川のたまものといい、エジプトの豊かさを、定期的に氾濫を繰り返す沃土をもたらすナイル川のめぐみとした。
セム語系アプロ=アジア語系
セム語系アプロ=アジア語系とは、セム語系の言語を使用する人びとをさす。西アジアから北アフリカ一帯にかけて多く居住してきた。古代メソポタミア文明を担ったアド人・アラム人・ヘブライ人や、イスラム教を創始・拡大させたアラビア人などもこの系統に属する。なお一般的には、エジプト語系とアフロ=アジア語系とみなされている。
葦(アシ)
メソポタミアの川岸に生まれた葦(アシ)は建築材、楔形文字を書くためのペン、ビール漉し、船材など多用に利用された。