イラン・イラク戦争
イランイラク戦争(イラク・イラン戦争)とはイランとイラクが起こした戦争(1980-1988)で、石油輸出のシャトルアラブ川の領有権を巡り、イランのホメイニとイラクのフセインと対立した。戦争は8年にわたって長期化し、双方に数十万の死者を出した。1980年、イラン革命で混乱したイラン軍に対して、イラクが攻撃したことから始める。
19世紀のイギリス支配
19世紀、中東にはオスマントルコ帝国が領土がひろがっていた。イラクやクウェート一帯もオスマントルコ帝国が支配していた。しかし、19世紀イギリスが侵入すると、1913年、イギリスは、オスマントルコ帝国と協定を結び、クウェートをオスマントルコ帝国から切り離し、イギリスの植民地とした。1914年、第一次世界大戦が始まると、イギリスは、オスマントルコ帝国を征服し、クウェートに続き、イラクも進出した。このクウェートとイラクの分裂の年代の差が湾岸戦争の遠因となった。
イラン・イラク戦争
1980年、サダム・フセインは、イラン革命(1979)の混乱に乗じてイランを攻撃し、イランイラク戦争が勃発する。イランイラク戦争は、両者とも決定打がないまま長期化した。
イラク側の大義
イラク側の大義はペルシア民族(イラン国民)からアラブ勢力を守ることであったが、アラブ諸国も含めて国際的理解は得られなかった。長期化により、イラクは900億ドルの負債を抱えて、クウェートの侵攻を模索することになる。