アメリカ独立革命|歴史とフランス革命

アメリカ独立革命

1775ー83年のアメリカ独立戦争を含んだ、アメリカ合衆国の誕生を総じてアメリカ独立革命という。単なる独立戦争ではなく、市民階層が封建的社会を打破し、自由や平等などの基本的人権や人民主権を掲げた点で活気的なものであった。アメリカ独立革命の影響は、フランス革命や19世紀の国民主義、ラテンアメリカの独立運動などにも及ぶ。

アメリカ独立革命

アメリカ独立革命

18世紀アメリカの北部

州によって異なるが、700人程度の小規模な村落のタウンが成立していた。教会の自治を基礎に政治も自治的に運営されている。また、自由人の成人男子がすベて参加する直接民主政をとり、植民地諸会の議員が選出されていた。
経済的には小麦や魚、タバコ、船舶、木材など植民地の商人による取引がメインであった。

18世紀アメリカの南部

州によって異なるが、北部と異なり、大規模なプランテ ーシヨンなどがあり、農地に住居が散在していた。カウンテイ(郡)ごとに統治機関をもち、プランターが統治機関を独占している。
経済的には、米やインディゴ、タバコなどイギリス出身やスコットランド商人による取引が多かった。プランテーションでは、大規模な農業社会を作り上げたため、アメリカ現地民との確執が生まれる。

植民地議会

植民地議会とはイギリスに倣って設けられた議会である。1619年、最初の代表制議会がヴァージニアで開かれた。財産資格による制限選挙ではあったが、一般選挙が実施された。一般選挙による下院と、行政部を組織した上院とになる。

ワシントン

ワシントン

アメリカへの移民

メイフラワー号で移民したピルグリム=ファーザーズ(巡礼始祖)は、ステュアート朝の絶対王政下のイギリスから宗教上の自由を求めてアメリカに渡った人々(ピューリタン)である。しかしながらこうした人々は少数派であった。多くの移民は、貧困から母国を離れ、植民地での数年間、プランテーションの労働者として働くことを目的とした人々であった。移民後、現地の過酷な状況から死亡した者も多い。

印紙法への反対

アメリカで植民した人々は生活苦に喘いでいた。にも関わらず、重税をかけてくるイギリス本国との確執が生まれていく。
たとえば1765年、印紙法(法律、商業、新聞に本国発行の印紙を貼ること)について、庶民は多いに反感を持ち、印紙法が撤廃されるまで、印紙代理人の吊し上げや要人の邸の襲撃という形でのデモ・反乱が多くの都市で起こった。翌年、撤廃された。

『コモンセンス』トマス=ペイン

当時、トマス=ペインはフィラデルフィアに移住した。独立革命に相応して匿名で『コモンセンス』という書を発刊した。イギリス本国からの独立を促し、独立国家アメリカの発展を書いた。
この書は白人人口が200万人の当時のアメリカで約3ヶ月で12万部を超え、ベストセラーとなった。イギリス王政を簡易な言葉で批判し、アメリカ人は独立への気運が高まった。

ボストン=ティー=パーティ

1773年、イギリスは、アメリカにおける紅茶の販売独占権を東インド会社に与えるという茶法を発布した。これに反発した植民地の人々が、ボストン湾に停泊していた東インド会社の船を襲った事件。これをきっかけにアメリカの独立運動は本格化していく。

アメリカ独立戦争

アメリカ独立戦争は、代表的な市民革命のひとつで、1775年から1783年まで続いた。イギリスから独立を行い、アメリカ合衆国ができた。

アメリカ独立宣言

アメリカ独立宣言

1778年 アメリカ独立宣言

われわれは、次の真理を自明なものと認める。すべての人は平等につくられていること。
彼らは、その創造者によって、一定の譲べからざる権利を与えられていること。
それらのなかには、生命、自由および幸福の追求が数えられること。
そうして、これらの権利を確保するために、人々の間に政府が設けられ、その正当な権力は、被治者の同意に基づくこと。
どんな形態の政治でも、この目的に有害なものとなれば、それを変更または廃止して新しい政府を設け、その基盤となる原理、その組織する権力の形態が、彼らの安全と幸福をもたらすにふさわしいと思われるようにすることは、人民の権利であること。

アメリカ合衆国

1781年、アメリカ合衆国憲法が誕生する。人民主義、中央政府と州自治を基盤とする連邦主義、立法、行政、司法の三権分立を基盤としていた。主権在民を明示した、世界初の成文憲法で、画期的なものであった。初代大統領はアメリカ独立戦争の指揮をとったワシントンが務める。

合衆国国旗

合衆国国旗

合衆国国旗

ワシントンの依頼を受けたベッツィー=ロスが製作したとさ れる。星とストライプの数は独立時の州の数の13、イギリスの連合旗と同じ配色である点に植民地人の複雑な心境が示されている。